未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

安楽死と自己安楽死と自殺と老衰

f:id:future-reading:20200712094109j:plain

オランダ安楽死統計

オランダの安楽死の統計は上記の通りです。ここで注目したいのは、安楽死した場所の8割が自宅であること、および、安楽死させた医師の85%が家庭医であることでしょう。

以前の記事でも書きましたが、欧米では自宅近くの医師を家庭医として登録することが義務づけられています。緊急時でもない限り、患者はどんな病気でも(妊娠でも)登録してある家庭医(クリニック)にかかり、大抵はそこで解決します。高度な医療機器による検査や手術が必要と判断された時だけ、患者は家庭医からの紹介状を持って、病院にかかります。家庭医は患者を長期にわたって診察し、患者の生活、性格、信条、家族関係を熟知しており、患者との信頼関係もあります。この医師と患者の関係をもとに、オランダの安楽死制度は成り立っているのです。日本には家庭医制度がないので、オランダの安楽死制度もそのまま導入するのは難しいかもしれません。

なお、オランダで安楽死は患者の「権利」ではありません。安楽死への患者の要請に、医師が必ず応える義務はありません。医師が自身の信条として安楽死を行わないことは認められます。また、安楽死を容認する医師でも、当該のケースは前回の記事に書いた「注意深さの要件」を満たさないと考え、あるいは複雑すぎると考え、引き受けない場合もあります。安楽死の最終決定権は患者ではなく、それを実行する医師にあります。だから、患者の要請があっても、医師に安楽死が断られるケースはあります。実際、オランダでも約半数の安楽死の要請は、実施に至らないそうです。

しかし、上記のように安楽死を実行してくれるのは、現実には近所の家庭医くらいしかいません。その家庭医がたまたま安楽死否定派だったりしたら、患者は安楽死を諦めるしかなくなります。そんな問題を解決するために2012年、生命の終結クリニック協会(SLK)が設立されました。

患者がSLKに安楽死を要請すると、SLKのチームが患者に何度も面談し、「注意深さの要件」を満たしているか検討します。審査には平均10ヶ月もかかるそうです。家庭医に断られたケースが多いせいか、安楽死の実施に至るケースは4分の1程度です。とはいえ、数時間で安楽死が実施されるケースもあるようです。2012年にSLKによる安楽死は32件でしたが、2016年には487件と増加しています。

SLKにより安楽死の適用範囲が拡大している懸念はあります。特に、認知症精神疾患を理由とした安楽死を認めるかどうかはどこの国でも難しい問題です。オランダの家庭医もこういったケースは避けたいようで、2002年に安楽死法ができてからしばらく、認知症患者の安楽死は0件が続き、2009年に始めて12件が報告されています。それからは増加の一途で、2016年は141件まで増えました。精神病患者の安楽死も2009年の0件から2016年の60件まで増えています。2015年に認知症患者の安楽死の4分の1はSLKにより実施され、2016年にその割合は3分の1まで増加しています。精神病患者の安楽死については、実に75%がSLKにより実施されています。しかも、これらの統計は地域安楽死審査委員会の年次報告書にはなく、SLKの年次報告書から自ら数えて調べないといけません。

こういった問題があるため、オランダ医師会はSLKに反対の立場です。しかし、オランダの家庭医は、患者の生命終結という厄介な業務を丸投げにできるので、SLKを歓迎しているようです。

安楽死の注意深さの要件にはbの「永続的かつ耐えがたい苦痛」があります。オランダでこの「耐えがたい苦痛」は肉体的でなく、精神的なものでも構いません。日本では考えられませんが、次の2件のような精神的苦痛を理由とした安楽死も判決で認められています。

1件目 50才女性。ひどいアルコール中毒家庭内暴力のある夫と離婚。その後の3年の間に二人の息子を亡くす。精神病院に入院したが、彼女の精神的苦痛はなくならない。医師は利用可能ないかなる精神科の治療も彼女に効果がないとの結論に達し、女性に致死薬を渡し、女性はそれを服用し、死亡。

2件目 86才。元上院議員。肉体的には健康。しかし、人生の楽しみと生きる意欲を失った、QOLと存在の意味が欠けていると訴え、安楽死。裁判では「老いの苦しみも安楽死の理由となりうる」と判示された。

このような判決もあるので、オランダの地域安楽死審査委員会は「耐えがたい苦痛」をほとんど議論していないようです。2016年に認知症と精神病で安楽死した201件のうち、「耐えがたい苦痛」でないと裁定されたのは、たったの1件でした。患者と医師が「耐えがたい苦痛」であると判断した場合、患者が亡くなった後にそれが適切な判断だったかどうか、赤の他人には裁定しづらいからです。実際のところ、注意深さの要件の「耐えがたい苦痛」、さらには「病状の合理的な解決法が他にない」までも、あいまいに解釈されるようになって、「患者が熟慮のうえで自ら死を決断した」という自己決定権だけが現在のオランダでは重視されているようです。

このようにオランダの安楽死は、日本と比較にならないほど広い範囲を対象にしています。それにもかかわらず、安楽死ではなく「自己安楽死」するオランダ人までいます。安楽死を家庭医に拒否された人や、煩雑な手続きを面倒に感じる人などが自己安楽死を選んでいます。方法としては、断食による餓死、薬をためこんで大量服用、ビニール袋をかぶってヘリウムガスによる窒息死などがあります。医師が報告する自己安楽死は2015年で2680件、全死亡者の1.8%です。自然死にみせかける場合もあるので、実数はもっと多いと推測されています。

前回の記事に示した通り、現在のオランダでは安楽死する人が4%もいて、さらに自己安楽死する人が2%もいるのです。

一方、延命至上主義がはびこりすぎている日本での安楽死はほぼゼロです。ここまで安楽死が認められていないからこそ、日本で自殺者が多いのではないでしょうか。日本では高齢者が毎年1万人以上自殺で亡くなっていますが、自殺させるくらいなら、安楽死を選ぶ権利を認めさせるべきだと考えます。

ただし、最近の日本の死亡統計で増えている老衰(≒餓死)は自然死に近く、好ましい最期だと私は考えています。2018年の統計で日本での老衰は全死亡の8.0%になります。この数値を見ると、日本に安楽死法がなくても、事実上の安楽死は行われている、とみなせるのかもしれません。