未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

平田オリザの提言

「下り坂をそろそろと下る」(平田オリザ著、講談社現代新書)は、平田オリザの著作である時点でほとんど期待していませんでしたが、その予想を見事に裏切って、興味深い本でした

「ヨーロッパのように、失業者割引を導入すべきだ。『失業しているのに劇場に来てくれて、ありがとう』『貧困の中でも孤立せず、社会とつながっていてくれて、ありがとう』と言える社会を作るべきだ」

「『なぜ、日本は高速鉄道の輸出で苦戦するのか』 この質問に大阪大学大学院生たちは『オーバースペックでコストがかかりすぎる』『安全基準が違う』『在来線の線路を併用する欧米型と、新線として敷設する新幹線では規格が異なる』といった正解を言ってくれる。しかし、『もしも君たちがドイツやフランス、あるいは中韓のライバル会社の営業マンだったら、日本の高速鉄道会社に対して、どのようなネガティブキャンペーンを張るだろうか?』といった質問には弱い。自己の技術の素晴らしさの主張はできるのだが、相手が自分のどの弱点を突いてくるかの観点は、ほとんど持ち合わせていない。もし私なら、このように囁くだろう。『事故数があれほど少なくて、時間通りなのは、日本人が日本でやってるからできるんですよ』 もっと性格の悪い営業マンなら、こう付け加えるかもしれない。『ちょっと気持ち悪いですよね』」

「日本中の観光学者たちが口を揃えて、少子化だからスキー人口が減った、と言う。しかし、劇作家たちはそう考えない。スキー人口が減ったから少子化になったのだ。かつて二十代男子にとって、スキーは、女性を一泊旅行に誘える最も有効で健全な手段だった。それが減ったら、少子化になるに決まっている。当たり前のことだ」

特に私が感銘を受けたのは、次のような主張です。

「知識を詰め込むだけの教育は、工業立国には有効だが、これからの日本には有効でない。従順で根性のある産業戦士は、中国と東南アジアに10億人はいる。これからの日本には、文化を創出する人が必要である。そのために、センスを養う教育を施さなければならない」

センスを養うための教育の例として、平田オリザが四国などで実際に行っている教育手法が多くのページを割いて紹介されています。

「センスを養う教育こそ重要である」「今の日本には出会いの場が少ない」「出会いがないから、少子化になる」「少子化対策として『結婚を取り持った仲人に5万円の報奨金をプレゼント』『同窓会の費用を助成』。どれもセンスのいいアイデアでない」「出会いの場を作るセンスが必要である」

センスを養う教育は、その真逆の知識偏重教育を重視する私では、なかなか浮かばない案です。確かに、その通りでしょう。ただし、豊富な知識があるからこそ、新しいセンスが生まれる側面もあるはずです。

また、センスの良さを客観的に測るのは難しいです。そのため、入試などの人生を左右する場でセンスが判断基準になると、不公平さが増します。上記の本では、「小説の一部分を切り取って、小学生向けの紙芝居を作る」「AKB48ももいろクローバーZのダンスを実際に踊ってみて、それぞれのビジネスモデルの違いを討議し、新しいアイドルのプロモーションを考える」「四国の観光プロモーションビデオのシナリオを作る」などの入試問題の例がありますが、これらだと「たまたまそのテーマなのでうまくいかなかった」ことが十分に起こりうるので、試験の出来に偶然の要素が強くなりすぎるでしょう。

それに、日本ほど実技教育に力を入れている国は、私の知る限り、他にありません。特に小学校ほど顕著ですが、日本中すべての学校で、美術、音楽、書道、体育が行われ、さらに運動会、音楽会、学芸会などが毎年のように開催されています。中高のクラブ活動も、プロスポーツクラブの少年部に匹敵するほどの時間を使い、日本中で熱心に取り組まれています。海外に一度でも暮らしたことのある人なら知っていると思いますが、「日本の学校には必ずプールがある」と外国人に言うと、みんな驚きます。ここまで幅広くいろいろな活動にすべての日本人が(いい悪いは別として)取り組んでいるので、日本人の卓抜した器用さが生まれていると私は確信しています。日本の学校教育が、知識偏重だとは全く思いません。

以上のような反論はありますが、「下り坂をそろそろと下る」は一読に値します。