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なぜ日本はコンパクトシティの都市計画で50年間も失敗続きなのか

土地問題はいくつもの法が複雑に絡み合いますが、「老いる家崩れる街」(野澤千絵著、講談社現代新書)は都市計画の失敗について簡潔に説明してくれています。この本で何度も出てくる言葉が「焼き畑的都市計画」「住宅のバラ立ち」です。

市民の居住面積が大きくなればなるほど、人がまばらに住めば住むほど、都市としては効率が悪くなります。人の移動に時間とエネルギーがかかるだけでなく、電気や水道やガスや道路や鉄道などのインフラ整備に費用がかかるからです。これは科学的事実ですが、自然のクリーンなイメージに流されるのか、人の手の入っていない山の中で暮らす方がエコだと勘違いしている人がいるようです(私の経験でいえば、西洋人に多い)。

日本の多くの都市は、積極的に開発する「市街化区域」と、開発を抑制して自然環境を守る「市街化調整区域」に区分されています。市街化調整区域は農家などの一部の人だけに開発が認められて、原則、一般住宅は建てられない区域です。しかし、2000年以降、日本の約3割の自治体で市街化調整区域の規制が緩和され、住宅地の乱開発が進み、非効率な都市がいくつも生まれてしまいました。

一般に、市街化調整区域は市街化区域の周辺にあります。商業地区からは離れており、周りは農地だったりします。たとえ規制が緩和されたとしても、そんな不便な場所に、なぜ住みたがる人がいるのでしょうか。

理由は単純です。土地が安いからです。憧れのマイホームを安価で購入できるからです。しかも、市街化調整区域なら、インフラ整備に使われる都市計画税を払わなくていい特権があります。

一方、売る側(大抵は農家)のメリットは、土地が高く売れることです。農家たちこそが二束三文でしか売れない農地を宅地として売るため、市街化調整区域の規制緩和自治体に積極的に働きかけているのです。利益率の低い農業をやめて、利益率の高い不動産所得がもらえますから。

自治体は自治体で、これまで過疎化が進む一方だった市街化調整区域に人が住むようになり、他市からの流入なら税収増にもなるので、規制緩和のメリットがあるわけです。

もちろん、多くの建物を作れば儲かる建築業者も、規制緩和は大歓迎です。

買う側、売る側、行政側、作る側、4者全てよし! 一見、近江商人の三方良しのさらに上をいくかのようです。しかし、上に書いたように、より大局的な視野でみれば、日本全体の損になっています。

ある自治体の人口が増えたところで、日本全体の人口は減っているので、別の人口減に苦しむ自治体から住民を奪っていることになります。もともと都会に住んでいた人を、エネルギー効率の悪い郊外に移動させていることにもなり、インフラの維持費はかさむ一方です。

2000年の地方分権一括法が制定されてから、都市計画分野は「地方分権の優等生」と言われるほど、中央から地方に権限が委譲されました。結果、いくつかの自治体が我田引水になり、都市計画の規制を緩和し、日本全体が沈んでいる状況なのに、自治体同士でさらに足を引っ張り合ってしまいました。

バカな話です。

現在、日本の住宅総数は増え続けています。高齢者世帯が増えているので、世帯数も増えていますが、それ以上に住宅総数は増えています。必然的に空き家があちこちに現れ、既に820万戸もあります。野村総合研究所によると2023年には1400万戸、2033年には2150万戸、実に30%の住宅が空き家になるそうです。

空き家だらけなのに、なぜ住宅を造り続けるのでしょうか。それは「作れば売れる」からです。金が余りすぎている日本で、大金を注ぎ込める土地建物業界に規制をかければ、さらにお金の流れが悪くなり、不況になる、と考えられているからです。

どこまでもバカな話です。

1968年に日本が都市計画法を制定した理由は、無秩序な開発を規制して、コンパクトシティを作るためでした。まだ誰も少子化を心配していない50年も前から、日本はエネルギー効率のいいコンパクトシティを目指していたのです。

それがどうしてこうなったのでしょうか。

理由の一つは、「老いる家崩れる街」が指摘する通り、過去から現在まで、ほとんどの日本人が都市計画に無関心だからです。だから、買う側、売る側、行政側、作る側の一部の利害関係者だけで、都市計画が無秩序に進んでしまいました。しかし、実際には、それ以外の大多数の日本人も利害関係者なので、関心を持って、都市計画の規制を求めるべきです。

その著者の意見に同意したので、私はまだ土地問題の本質を理解していませんが、ここで記事にすることにしました。