未来社会の道しるべ

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環境問題と教養

今朝の朝日新聞のオピニオン&フォーラムの記事は興味深い内容でした。昨年、九州電力管内で太陽光発電業者らに出力抑制が出され、「原発の稼働を止めずに、再生可能エネルギーの出力を抑制するとはなにごとか」と朝日新聞を含む多くのメディアが批判的に報道したことに対して、専門家が反論しています。「海外では再生可能エネルギーの出力抑制は当たり前で、その5%が捨てられている。日本では初めて再生可能エネルギーの出力抑制が起きたから、ニュースになっただけで、マスコミは表面的に批判している。九州で昨年捨てた再生可能エネルギーはわずか0.2%である。電気は通常蓄えられないし、高価な蓄電池を作って無理にエネルギー保存しても、返って経済的に非効率だ。今回のニュースは、むしろ、捨てるほど再生可能エネルギーが増えてきた喜ばしい証拠である」という趣旨です。

事実と統計を元に本質を突いた指摘です。環境によくないニュースが実は環境にいいニュースだったり、環境に優しい行為が実は大して優しくない行為だったりした例の一つでしょう。

30才以上で環境問題に少しは関心のある方なら、「割り箸論争」は覚えているのではないでしょうか。「マイ箸を持って環境に優しいつもりでいる奴なんて偽善的だ」という批判です。「え? マイ箸はエコじゃないの?」とマイ箸を持ちながら真顔で聞いてきた無知な国立大学職員に会ったことがあるので、私も基本的に「マイ箸使用者≒偽善者」と考えています。ただし、「割り箸は端材を使用しているので、むしろ環境に優しい」と勘違いしている人にも私は会ったことがあります(日本で使われる割り箸のほとんどは端材から作られていない輸入品です)。なお、割り箸論争については、ネットにある「割り箸から見た環境問題 2006 - 環境三四郎」の「割り箸論争の整理」くらいは読んでおくといいと思います。

環境問題は気候、エネルギー、衛生、経済、文化などなどが複雑に絡み合います。「ルポにっぽんのごみ」(杉本裕明著、岩波新書)を読めば、環境問題を語るには広い知識が必要で、イメージやマスコミ情報だけで語ってはいけない、とよく分かるのではないでしょうか。

正直に白状すれば、私は環境問題について「まるで神学論争みたいだ。考えれば考えるほど訳が分からなくなった」「結論に直結する重要な点がいくつも不明のままじゃないか」「この程度の問題にここまで深く考察する価値あるのか」「結局、自分ひとり変わったって、意味ないってことだよな」「もういいや、好きにしよう」となったことが何度もあります。昨日まで持っていた見解が、たった一つの事実を知って、正反対の見解になったことも珍しくありません。

一方で、多くの事実や統計を知ることで、私の環境問題に対する見解が少しずつ洗練されてもきています。一つの環境問題を深めていくとで、社会全体の展望が急に開けたりもします。ほぼ全ての人間の営みは環境問題と無縁ではありません。環境問題にどれだけ深く語れるかについては、その人の教養の尺度になりうるでしょう。