未来社会の道しるべ

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ベーシックインカムよりも人的支援を充実させるべきである

昨日出会った70才の女性です。大腿骨頸部骨折後に手術した患者さんでした。子ども時代にいじめにあったため、ろくに小学校も行っていなかったそうです。年齢からし日本国憲法下の時代に育っているので、憲法違反です。親はどうしていたのか、と思いますが、本人は認知症もあるので、詳しく事情を聞くことはできませんでした。

問題はそれだけではありません。本人は結婚して3人の子どもを生んでいますが、その3人の子どもを例外なく虐待してきたそうです。現在、本人は3人の子どもから親子の縁を切られており、介護はもちろん、本人への一切の手助けが拒否されました。本人は夫から暴力をふるわれていたようで、夫とは既に離婚しています。

これを読んで、どう思うでしょうか。

(かわいそうだ)

ほとんどの人はそう思って、終わります。医療職や福祉職の人でも同じです。あるいは、医療職や福祉職に就いていたら、毎日のようにこんな話を聞いているので、なんとも感じない、という人も多いかもしれません。倫理観の劣る医師になると「医者は家族の問題など解決している暇はない。もっと重要な仕事をするために働いている」と平然と言ってのけます。そんな道徳観に欠ける奴は、社会全体からみれば害をもたらす存在なので、たとえ2000時間残業している医師だとしても、日本人の平均年収以上の給与を絶対に与えないでほしいです。

その女性にとって、骨折を手術で治して歩行可能にするよりも、信頼しあえる家族を持つ方が、生活の質を遥かに高めることは、猿でも分かります。それすら分からない奴は猿にも劣るので、給与は一切払わず、バナナを現物支給であげてください。

もちろん、その女性に信頼しあえる家族を持ってもらうことは、骨折を手術で治すことよりも、遥かに難しいです。いえ、より正確にいえば、その女性の家族関係を修復するのは、ほぼ不可能でしょう。率直に言って、もう手遅れです。だから、私がそういった人を前にして、いつも思うのは、こんなことです。

(なぜ、もっと早く福祉の手を差し伸べなかったのか)

どうして、学校に行けなかった子どもの時に、福祉の手が入らなかったのでしょうか。どうして、夫からDVを受けている時に、福祉の手が入らなかったのでしょうか。どうして、子どもを虐待している時に、福祉の手が入らなかったのでしょうか。どの問題も、その女性一人では解決できないことは明らかです。本来なら、日本の公的福祉が、日本人全体が救うべき人だったはずです。その女性は日本人全体の低い道徳観の犠牲者です。

私が上の状況を知った時、次に心配になったのは、その女性の3人の子どもです。その女性がそうだったように、3人の子どもがDVをしていないか、あるいはDV夫やDV妻と結婚していないか、気がかりです。

ベーシック・インカム」(原田泰著、中公新書)という本があります。新書だけあり、理論的な解説が多く、読む価値はあります。「ベーシックインカムは究極のバラマキ政策である。個人の問題に国家が全て介入していれば、社会福祉士の必要数は膨大になり、税金がいくらあっても足りない。だから、全員に最低限度のお金を払って、全て自己責任にすればよい」というような意見を主張しています。しかし、これは著者も「究極のバラマキ政策」と言っている通り、理想論あるいは極論です。上のような女性がお金を受け取って、問題を解決できるわけがないことは誰だって分かるはずです。著者には日本の福祉の現場をぜひ見て回ってほしいです。

著者にとって「税金がいくらあっても足りない」と思われる、社会福祉士が全ての個人の問題に介入する方法しか、全ての人は救われない、と私は確信します。この意見も極論になりえますが、少なくとも、上のような女性に早期に人的支援を与えるべきことは、現代の感覚なら、当然のはずです。学校にも行かない人をそのままにしていたら、生活保護になる人が増えたり、知性も倫理観も乏しい人が増えたり、犯罪率が増えたりして、返って社会全体に悪い影響を与えることは明白です。

これは極端な例にしても、日本は個人だけでなく社会全体にとっても明らかに有益な福祉政策が、まだまだ実施されていません。具体的な例は、このブログの「高齢者以上に現役の社会的弱者にも個別事情に応じた人的援助を与えるべきである」などの記事に書いています。ベーシックインカムを効果的に実現するとなると、日本なら200年は早いでしょう。