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ピンピンコロリは理想でない

「直前まで元気で、急に死ぬ」といった意味のピンピンコロリは、10年ほど前、マスコミで理想として持て囃されていました。今でも、ピンピンコロリを理想と考えている高齢者は少なくないようです。

しかし、ピンピンコロリが現実に起こったら、どうなるでしょうか。本人ですら死ぬ時を正確に予想できないので、本人が死ぬ前に伝えたかったこと、あるいは、本人が死ぬ前に処理したかった仕事が、周囲の人に残されてしまう可能性があります。事実、本人が大金の貸し借りをしていたが、詳細が分からず、全ての処理に数年もかかった、という話は、私も聞いたことがあります。

また、心臓突然死であれ脳卒中であれ、事故死であれ自殺であれ、持病もない人が突然死ぬと、ほぼ100%、警察が来ます。事件性がないか、警察にあれこれ聞かれます。近い人が予想外に死んだことでショックなところ、さらに警察の相手をしなければなりません。

ピンピンコロリは理想でないと私が考える一番の理由は、その正反対である老衰が最も好ましい死に方だと思うからです。死因統計を見てもらえれば分かりますが、ここ10年ほどで、老衰で死ぬ高齢者が急激に増えています。

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医療従事者なら知っているでしょうが、この老衰は餓死とほぼ同義です。つまり、食べられなくて、あるいは無理に食べさせなくて、亡くなっているのです。10年以上前の日本だったら食べられなくなっても、胃瘻を使って、経鼻カテーテルを使って、中心静脈カテーテルを使って、無理にでも摂らせていた栄養を、今は入れなくなったからです。そこまでしても、生命予後はほとんど変わらない、場合によっては短くなると統計的に示されたからです。また、日本経済新聞2017年12月25日の記事によれば、老衰死の割合が高い自治体ほど後期高齢者の医療費は安くなっています。さらにいえば、経口摂取以外の栄養摂取で寿命を延ばしても、QOL(生活の質)が上がるとは考えにくいです。嚥下能力がなくなった人に無理に栄養を摂らせても、食道を逆流して誤嚥性肺炎を起こしたり、静脈栄養なら腸の免疫力が落ちて感染症にかかったりします。そこまでして栄養を入れて、癌や感染症と戦わせるより、少しずつ衰弱させて、穏やかな最期を迎える方がいいだろう、と多くの医療従事者が気づいてきました。

そういった医療従事者が増えたからこそ、マスコミもピンピンコロリを称賛しなくなったと推測します。医療従事者やジャーナリストにとっては既に常識かもしれませんが、高齢者にはまだ十分に浸透していないようなので、この記事を書いておきます。

(余談ですが、昔の医療統計で老衰が多かったのは、死因を医学的に特定していなかったためと言われています。現在の医療で診断すれば、老衰のほとんどは癌だったのだろう、と推測されています)

ピンピンコロリについては、当初、前回の記事とこの記事だけで終わる予定でしたが、執筆中に、この見解では浅いと考えたので、次に続きます。