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間違った恋愛観でもジェンダー学者になれる実例

「部長、その恋愛はセクハラです!」(牟田和恵著、集英社新書)では、「女性ははっきりとノーと言わないのは洋の東西を問わない。だから、女性がノーと言っていないからといって、嫌でないと考えるのは男性の勘違いと判定されても仕方ない」と書いています。「女性がはっきりとノーと言わない」のは事実かもしれませんが、性的なことに関しては正反対で、むしろ「女性ははっきりとイエスと言わない」です。それは経験上、全ての男性が知っていると思います。ロシアのアネクドート(小話)にこんな冗談があります。

「外交官がyesと言ったら、それはmaybeの意味である。外交官がmaybeと言ったら、それはnoの意味である。外交官がnoと言ったら、その人はすでに外交官としては失格である。女性がnoと言ったら、それはmaybeの意味である。女性がmaybeと言ったら、それはyesの意味である。女性がyesと言ったら、その人はすでに女性としては失格である」

私は「恋愛における女性優位の証拠」で、「女性はほとんど全ての男性を拒否するのに、男性はほとんど全ての女性を受け入れる。だから、恋愛では女性優位だ」と主張しました。この仮説には「それは単に男性が女性を基本的に警戒しないが、女性は男性を基本的に警戒することの証明にしかならない。これで恋愛における女性優位とするのは論理が飛躍している」という批判が出てくるでしょう。確かにその通りですが、最低でも、恋愛について女性が男性よりも遥かにnoと返答する証拠にはなるはずです。

だから、「恋愛について女性はノーと言わない」は牟田の明らかな間違いです。水掛け論をしても仕方ないので、実際に「恋愛における女性優位の証拠」に書いた社会実験などをして、統計的に証明してください。

おそらく、恋愛について女性は基本的にノーの返事することは、男性に限らず、女性だって知っているはずです。まさか牟田は恋愛についてノーとなかなか言わないのでしょうか。上記の本を読み限り、とてもそうは思えません。牟田自身がむしろ「イエスとなかなか言わない」性格なのなら、誤解するのは男性の責任にしたいからといって、「恋愛において女性はノーとなかなか言わない」と主張するのはどうなのでしょうか。