未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

高齢者以上に現役の社会的弱者にも個別事情に応じた人的援助を与えるべきである

前回の記事の続きです。

高齢者天国ニッポンでは、極めて手厚い介護が行われています。それがよく分かる表を次に示します(日経新聞のHPから引用)。

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要介護1で月約15万円、要介護5になると月約35万円もの金額がたった1割の自己負担で利用できます。それ以外の9割は、税金や40才以上の保険料などの社会的負担で賄っています。

これだけの金額を費やしているので、高齢者の個別事情にも細かく対応できています。たとえば、介護保険を利用する場合、必ずケアマネージャーという「監督者」がついて、どのような介護サービスを受けさせるのが適切か、本人に代わって考えてくれます。それは必ずしも介護対象者の利益だけを追及するわけでもありません。たとえば、掃除する身体能力はないが、部屋がどれだけ散らかっていても自分は気にならないので、掃除のヘルパーは要らない、と高齢者が主張したとします。この場合、ケアマネージャーは本人の生活の質の向上のために部屋の掃除はするべきと判断しても「本人の意思」を原則最優先させ、掃除ヘルパーは介護サービスに含めません。とはいえ、例外もあります。掃除ヘルパーの支援がないせいで、ゴミの腐臭が近所にも漂って迷惑をかけていたら、それはヘルパー支援を受ける義務が生じても仕方ないからです。それを円満に解決するため、「本人のゴミ出し身体能力」「高齢者家族の協力」「近隣の環境」「日本社会の常識」などの個別事情を細かく把握して対応するのがケアマネージャーの仕事になります。なお、ケアマネージャーの仕事はヘルパーの派遣だけでなく、訪問リハビリ、訪問看護デイケアショートステイ、特養などの全ての当該地域の介護サービスを把握して、介護保険の金額内でどうすれば高齢者にとって最適な介護サービスを提供できるかを考えています。

ここまで豊富で手厚い介護サービスが存在しているので、介護保険費用は現在年間10兆円にも達しています。これは現在40兆円の公的医療費用(その6割は65才以上に費やされている)とは別枠の金額です。周知の通り、介護費用も医療費用も高齢者の増加にともなって、これからも上昇していくことが確実視されています。

これだけ高齢者の社会保障が手厚い一方で、現役世代の社会保障はあまりに貧相です。日本の生活保護支給費は約3.7兆円(2015年度厚労省発表)で、刑務所の予算は約2300億円(2015年度法務省発表)で、不登校者などを救うスクールカウンセラーの予算は約41億円(2014年度文科省発表)です。

さらに、上の費用は私が「一人の取りこぼしもない社会」で新しく提案している失業者、犯罪者などの社会的弱者への人的援助の予算にすらなっていません。

生活保護者の費用は本人に給付しているだけで、後は自己責任です。一応、生活保護担当者(保護係などと呼ばれる)は受給者につきますが、ケアマネージャーが高齢者介護費用の使い道を全て把握しているように、保護係が生活保護費の使い道を全て把握しているわけではありません。だから、生活保護受給者がパチンコをしていたら、密告すべきなどの条例ができたりします。確かに、介護サービスと違って、生活保護費は文字通り、生活に関する全ての事柄に費やされます。いくら生活保護受給者といっても、金銭の使い道を全て指定されるのは、生活保護受給者への人権侵害だとの批判はあるでしょう。

だから、全ての使い道の指定はしなくても、たとえば生活保護費15万円のうち12万円は保護係が使い道を指定する、ギャンブルに費やす金額を制限する、などの規制はあってしかるべきでしょう。なにより、本人受給額を減らしてでも、本人への人的援助の予算を加えるべきだと思います。人的援助の役割は単に保護費の使い道を把握して規制するだけでなく、本人が退職した事情を親身に聞いたり、就職口を本人の代わりに探したり、職業能力をつけるための学校を紹介したり、本人の理想が高すぎたら現実を理解させたりするなど、多岐に渡ります。もちろん、そんな手厚い人的援助をしたら、生活保護予算は増えるでしょうが、社会全体への貢献で考えれば、それだけの予算をかける価値はあるはずですし、そうなるように運用できるはずです。

上記の刑務所の予算は、刑務所内で犯罪者が更生するための費用です。私の提案する新しい犯罪者への人的援助の予算は、刑務所から出た後の犯罪者が社会復帰するための人的援助の費用、あるいは刑務所に入らない程度の軽犯罪者が再犯しないための人的援助の費用です。軽犯罪といっても、駐車違反程度で人的援助が入っていたら無駄な予算になるでしょうが、窃盗くらいになると人的援助は入った方がいいと私は思います。

上記のスクールカウンセラーの予算は明らかに不足しています。スクールカウンセラーの担当業務は不登校、いじめ、非行、家庭問題なども含まれます。不登校者だけを処理する予算でも現状では足りないでしょう。

話を介護保険に戻します。要介護5といえば、まともに意思疎通ができず、自分で歩くことは当然できず、トイレまで行けないのでオムツ使用で、口からの食事も難しい方です。そんな方の介護には月35万円もの金額が必要だと、日本が事実上の公的判断を出していることは、国内的にも国際的にも広報すべきではないでしょうか。

その事実をどう考えるかは人によって違うでしょう。「そんな高額費用がかかるくらい、人間の最期の介護は大変だ」、「そんな負担の多い介護を家族だけに任せるわけにはいかない」、「さすが高齢化先進国ニッポン! 最期の最期まで介護を提供している!」と考える人もいるかもしれません。しかし、日本社会全体で考えていれば、「自力で意思疎通も移動もトイレも食事できない人の介護に月35万円もかける金があれば、他に回すべきだ」という結論になったと私は推定します。特に、日本以外の国だったら、高齢者も含めて、ほぼ全員がそんな結論に到達すると確信します。終末期医療については、また別の記事で論じるつもりですが、社会負担を考慮するまでもなく、本人のためにすらならない過剰医療まで日本では行われていたりします。

現状の日本で介護の個別事情がおそらく世界一きめ細かく考慮されていると同じくらい、不登校者、失業者、犯罪者などの社会的弱者の個別事情を考慮して、人的援助を与えるべきだと考えます。ここでは簡単に書いていますが、それがいかに大変かは私も少しは理解しているつもりです。刑務所に入るほどの犯罪者の社会復帰なんて、それこそ月35万円程度の人的援助が1年以上必要かもしれません。どこまでどのように援助すべきかについて詳しくここでは論じませんが、身体能力の落ちた高齢者にも同じ費用をかけていたのだから、犯罪者の更生にもそれくらいお金をかけるべきだ、と考える日本人が増えてくれることを願っています。