未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

「オリーブの罠」にみる日本女性の美意識と少子化原因

「オリーブの罠」(酒井順子著、講談社現代新書)というバブル世代の著者の本では、「自分のために美しくなろう」という言葉が出てきます。その意味するところは「全方位的におしゃれな女の子」を目指すことのようです。全方位的といっても、私が「世界一自意識過剰な日本人は世界一美しくなったけれども」の記事に書いた「空や海の青さ」などの生物普遍的な美の追及をしているのでは、全くありません。人間に限ったとして、時代や場所を超越した美しさの話も出てきません。高齢社会日本において、お爺さんやお婆さんにも感心される美しさ、なんて話も当然のようにありません。ここでの「全方位」は、本を全て読む限り、「同世代の女友だち」に対して優越感を持つための美しさ、としか考えられません。「全方位」と言いながら、対象が思いっ切り限定されていることに、著者は完全に気づいていないようです。

そんな矛盾があっても、この「同世代の女友だち」から称賛される美しさを追及することは、当時だと新しかったようです。この本で頻繁に使用される言葉に「モテ」があります。一方で、「非モテ」という言葉も多用しています。「非モテ」とは「他人の束縛から解放された美しさ」という意味では決してありません。「モテ」が男性を意識した美しさなのに対して、「非モテ」は同世代の女性を意識した美しさです。新しい世代は、モテではなく非モテを追及するようになった、と主張しているのです。

バブルを知らない私くらいの世代になると、そんな発想は新しくともなんともないでしょう。若い女性が女性の中だけの内輪の美しさを追及していることは、当たり前だと思っているのではないでしょうか。

昔は違ったようですが、今の日本人女性は家族のしがらみから解放されて、女性の仲間たちだけで集まります。子どもの頃から慣れ親しんだ女性だけの社会は、極めて居心地がいいはずです。それこそ、違う価値観の社会で生きてきた男なんかと一緒にいるより、よほど快適な環境でしょう。だから、男から美しいと思われなくても別にいいのです。それよりも、同世代の女性たちに美しいと思われることが、女性にとって幸せな人生を送ることに繋がっているのだと思います。

なお、「オリーブの罠」の著者は、「振り返ってみて『非モテ』を追及しているのではいけなかった」と後悔してもいます。「言うまでもなく、異性獲得の闘いに負けるからだ」と述べているのです。A→Bと進んで、またAに戻ったら、進化した(アウフヘーベンされた)A’に昇華されそうなものですが、そのような高次の概念は私には見つけられません。単純に、「モテ」を追及するべきだった、男性にとっての美しさを追及すべきだった、と感じているようです。

この感性も、私からしたら古臭いです。なんだかんだいっても女性は男性に頼らないと幸せになれない、といった価値観は私以下の世代にはないでしょう。上に書いたように、女性が女性たちだけの世界に安住することを許容する時代になっています。昔は、健康な女や男が結婚しないまま高齢になるなど許されない社会的圧力があったようですが、今は顔を合わせるたびに「結婚しろ」「子ども作れ」と連呼するお爺さんやお婆さんが激減しました。結婚しても家庭だけに執着する女性はほとんどいなくなって、既婚女性は自分の子どもと同年代の子どものいる既婚女性たちだけと接する、なんてこともありません。未婚女性でも既婚女性たちとつきあえて、さらに、それが自分の人間関係の中で一番重要な仲間だったりするので、未婚女性が孤独感を味わうこともありません。むしろ、男性と一緒に暮らすストレスを感じることなく、子育ての世話をしなくていいので、未婚女性が最も幸せな人生を送れる社会になったのではないでしょうか。

こういった社会環境の変化こそが、少子化原因の大きな一つだと私は考えています。同様のことは、男性側の視点からも言えます。それについては、いつか記事に書くつもりです。