未来社会の道しるべ

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湾岸戦争のトラウマ

前回の記事の続きです。

湾岸戦争時の日本外交を例えるなら、次のような話になるでしょうか。

街のガソリンスタンドがテロリストたちに襲撃されたとします。あなたは他のガソリンスタンドを使うこともできたので、あまり関心がなかったのですが、街の自治会が一致団結して自衛団を作って、テロリストを掃討する計画を立てました。自治会はあなたの家族も自衛団に加わるように要求しましたが、「暴力による解決は避けるべきだ」を家訓とするあなたはそれを拒みました。すると、自衛団の中でいつも威張っているボスが「だったら金を出せ。あんたは金持ちだから、いっぱい払えるだろう」と要求してきます。あなたは家族内の反対を振り切って、不承不承で要求金額を払いました。その金を使って、自衛団たちは全く経済損失のないままテロリストを掃討できました。襲撃されたガソリンスタンドのオーナーは、自治会報に個人名をあげて感謝広告を出しましたが、あなたの名前はありませんでした。激怒したあなたがボスのところに行って、自分たち家族がいかに金銭的に貢献したかを述べると、ボスは「じゃあ、その金あげるから、お前の家族がテロリストと戦えよ」と言い返してきました。

あなたは「二度とこんな連中に協力するものか!」と思うのではないでしょうか。これで「ボスの言う通りだ。申し訳ない」と思ったら、あなたは家族から半殺しにされるでしょう。

しかし、多くの日本の保守派政治家は仲間から半殺しにされるような、その卑屈な思想に流れました。湾岸戦争後、国際社会で紛争が起これば、アメリカの言うように、日本人も参戦すべきだ、と考えるようになったのです。

今の若い人たちは知らないかもしれませんが、この時の思想潮流は、現在の日本外交政策に間違いなく影響を与えています。

この時から自衛隊の海外派遣がなし崩し的に行われていくことになります。「大量破壊兵器があるから」との理由で始まった2003年のイラク戦争でも、日本は自衛隊の現地派遣に徹底してこだわりました(そして「大量破壊兵器」はありませんでした)。

しかし、これらの自衛隊派遣は、憲法9条との整合性で問題があります。そして、「だから自衛隊派遣は止めよう」という意見にはならず、「だから憲法を変えよう」という意見になっていったのです。それが保守派政治家(および保守派国民)による昨今の憲法改正の大きな根拠です。

しかし、これは根本的なところで間違っているでしょう。前回の記事に書いたように、そもそも自衛隊を派遣しなくても、国際的な人的貢献は可能です。なにより、湾岸戦争時のアメリカ外交はどう考えても理不尽です。アメリカの横暴に追従して始まった自衛隊派遣を憲法改正してでも認めるべき、というのは滅茶苦茶です。そこまで日本はアメリカの従僕になるのでしょうか。

湾岸戦争のトラウマ」を知らない若い世代のために、これだけは書いておきます。前回の記事に書いたような見解は、1990年代にはそれほど珍しくありませんでした。左翼が嫌いな知識人でも「そこまでアメリカの言いなりになってどうする! アメリカの言う通りに自衛隊を派遣する必要などない!」という意見はよくありました。

「他の国が参加しているのに、日本だけが戦闘に参加しないわけにはいかない」という固定観念を持っている人もいるでしょうが、それは日本の常識でなかったことを知って(世界の常識でもありません)、その固定観念を何度かは疑ってみてください。