未来社会の道しるべ

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人は自分のためにしか生きられない

前回までマザー・テレサナイチンゲールガンジーと3名の私の尊敬する人物を紹介させていただきました。この3人は自分を犠牲にしてでも他者のために生きていますが、なぜそんなことができたのでしょうか? 

その理由は誰にも特定できないでしょうが、3人ともが非常に恵まれた子ども時代を過ごしていることはその必要条件だった、と私は考えています。不幸な子ども時代を送った者ほど、人の不幸が分かるとは思いますが、だからといって、人に優しくできるとは限りません。不幸なほど人は心に余裕がなく、他人に優しくできなくなる場合の方が多い、と私は考えています。

また、3人とも他者を助けることで、自分の中で充実感が得られたから、慈善事業にあれほど人生を費やせたのだと確信します。なんの見返りもなく、誰からも称賛されず、実践しても辛いだけだったら、3名とも偉業を成し遂げることは不可能だったと私は考えます。

究極的に、人間はなんの満足感もない事柄を継続することなどできないでしょう。完全な自己犠牲など不可能で、全ての慈善活動は偽善的な側面、自分のためにしている側面があると私は考えています。全てなので、上の3人の慈善活動も偽善的側面はあると見なしています。

「究極的に人は自分のためにしか生きられない」の考え方は、私の社会観の大きな柱になっているので、これまで多くの日本人、外国人に語ってきました。その経験では、カナダ人の多くがこれと同様の考え方を持っていたのですが、日本人だとこの考え方に強い反感を示す人が少なくありませんでした。反感を示す方たちは、人間の浅い内面しか見ていないように思えてなりません。