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マザー・テレサの日本人へのメッセージ

マザー・テレサというと、若い世代には歴史上の人物でしかないでしょう。生まれたのは1910年でオスマン帝国と聞くと、なおさらのはずです。

テレサはその地方では裕福な家で育ち、幸せに満ちた子ども時代を過ごしていたようです。敬虔なカトリック教徒であった彼女は世界の不幸な人のために生きたいと考え、21才の時からインドの修道院で働いています。しかし、修道院で上流階級のキリスト教徒ばかり相手していた彼女は、これで本当に不幸な人を救っていることになるのか、と疑問を感じ続けていました。

ついに1948年、テレサ修道院の外に出て、当時インド最大の都市であったコルカタの貧民のために活動することを決めます。この決意を聞いた同僚の修道女たちは、スラムのひどい状況を知っているものの、単なる修道女のテレサが一体なにをしたいのか、なにをできるのか、よく分からなかったそうです。

テレサがスラムで行った活動は、大まかに二つだけです。一つは、青空教育です。浮浪児たちに無料の教育活動を行っていました。もう一つは、浮浪者たちに笑顔で話しかけることです。彼女は物質的豊よりも精神的豊かさ、身体状態よりも精神状態を常に重視していました。どんなに貧しい人でも、どんなに身体が病気に蝕まれていても、精神的な豊かさを得ることはできると信じていたのです。不幸で見捨てられている浮浪者たちの心を少しでも救いたいと、テレサたちは毎日多くの浮浪者に笑顔で声をかけ続けました。

テレサが精神面を重視したことが最もよく分かる活動が「死を待つ人々の家」です。これは医学的に絶対に助からないと分かった人たちを看取る施設です。経済的な観点からいえば、このような人たちにお金や労力を注ぎ込むのは必ずしも有益ではありません。しかし、そんな見捨てられた人だからこそ、私たちが心を救わなければならない、とテレサは考えていたのです。

テレサの活動は順調に進んだわけではありません。ヒンドゥー教が多数派のインドでは、キリスト教徒のテレサの博愛行動は、どうしても布教活動の一環として見られましたし、事実、その側面はありました。しかし、相手の宗教を問わず、また無理な改宗をさせることもなく、教育活動や心の救済をする姿勢にインドの人たちもテレサの活動を次第に受け入れるようになっていきます。

そのうちにテレサが設立した「神の愛の宣教者会」の活動は、世界的にも知られるようになります。1965年にはカトリック教会から、ベネズエラでも活動してほしい、とお願いされました。テレサはインド以外での活動を全く考えていなかったようですが、実際にベネズエラに行って、見捨てられた浮浪者たちを見ると、「確かにこの人たちを救わなければならない」と考えを改め、ベネズエラにも神の愛の宣教者会を設立します。

ノーベル平和賞を受賞したテレサはさらに有名になっていき、1981年には講演を依頼されて、日本にも来ます。テレサは講演目的で日本に来たのですが、滞在中に神の愛の宣教者会を日本にも設立することを決めます。どうしてテレサは世界第2位の経済大国になっていた日本に、インドの貧民のためだった修道院を作ったのでしょうか。

それは東京や大阪で、インドのコルカタ同様に不幸で打ちひしがれている浮浪者たちを見たからです。物質的にも精神的にも恵まれた日本人たちが、そんな浮浪者たちを見ていながら、無視して通り過ぎていたからです。

「どうして日本人たちは不幸な同胞たちを見捨てているのでしょうか。日本は物質的に豊かになったとしても、精神的に豊かになったと言えるのでしょうか」

私がこの言葉を知ったのは、発言後20年以上経過した時で、既にマザー・テレサは亡くなっていましたが、強い衝撃を受けました。私も浮浪者たちを無視している多くの日本人の一人だったからです。また、そのことに疑問を感じたこともないに等しかったからです。

よく考えてみれば、いくら私が貧しいと言っても、浮浪者一人くらいを養うことはできます。ワンルームマンションでも、工夫すればあと一人くらい眠れる場所は作れますし、食料だって一人分くらいは用意できるでしょう。毎日、笑顔で語りかけることだってできます。間違いなくできるのに、していません。「私が日本の最も嫌いなところ」で書いたように、「人間は皆同じ」だと私は考えています。同じ社会にいる以上、私が浮浪者として見捨てられていた可能性はあり、誰かが浮浪者として見捨てられている責任の少しは私にもあります。社会道徳的に明らかに私は救うべきだし、物理的に金銭的に救える能力もあるのに、救っていないのです。

上のマザー・テレサの言葉を知って、私の道徳観は変わりました。だからといって、私が浮浪者を自分の家に住まわせているわけではありませんし、毎日笑顔で浮浪者に話しかけるようになったわけでもありません。そんな自分の生き方が、人として最も大切な道徳に欠けているところがある、と常に自覚するようになったのです。もちろん、今この瞬間もそう思い続けています。「どうして不幸な人を見捨てているのに、平気で暮らしているのか?」と私が無視してきた数えきれない不幸な人たちに問われたとして、私は言い訳など全くできず、謝罪の言葉を述べるしかない、と肝に銘じています。