未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

日本で革新的でも西洋では保守的である

日本史をある程度勉強した方なら、天皇機関説を唱えた美濃部達吉は知っているでしょう。どの日本の文献で調べてもらっても、美濃部は非常にリベラルな人物、場合によっては急進的と評してもいい人物として記述されていると推測します。だから、アメリカでピュリッツァー賞を受賞した「敗北を抱きしめて」(ジョン・ダワー著、岩波書店)に、美濃部が松本憲法調査委員会のメンバーとして「明治憲法の改正の必要はない」と熱意を込めて語った、と書かれていることには驚きました。

また、日本国憲法戦争放棄の条項は、幣原喜重郎が主張した、というのが日本では通説です。既に売ってしまったのですが、「歴代総理の通信簿」(八幡和郎著、PHP新書)で幣原内閣を最高評価にしている理由は、憲法の平和条項の制定にあった、と記憶しています。しかし、上記の「敗北を抱きしめて」では、「幣原は後年、自分こそがマッカーサー元帥に戦争放棄の理想を最初に語ったのだ、と自負心を持って主張するようになった。これは十中八九、たんに年老いた男の思い違いの回想であろう」と断じています。

私は原典を調べてなどいないので、本当のところは分かりません(原典を調べても、本当のところは分からないとは推測します)。ただし、日本で革新的と思われる人でも、西洋の価値観では保守的と思われることは、今でも続いていると、私の海外経験から断言します。ましてアメリカと日本の民主主義段階に極端の差があった第二次世界大戦直後なら、日本では急進的と思われる人が、アメリカで極めて保守的なマッカーサーの観点からも保守的に映った、ということは十分ありえるでしょう。

a boy of twelveの国から脱却できたのか」の記事で、人格破綻者で保守派のマッカーサーが、どうして20世紀日本で最大の民主化を実現できたのか、と問題提起しましたが、その答えの一つ要因に「西洋と比較した場合の日本の際立った保守性」は挙げられるべきだと確信します。