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カンボジアPKOの文民警察の実態

前回までの記事の続きです。

カンボジアPKOの75名の日本人文民警察官は、カンボジアPKOの基礎知識もないまま現地に到着したので、「文民警察官とは何なのか」という疑問に誰もが突き当たることになりました。「現地警察への助言・指導・監視」が公的な目的ですが、それはお題目に過ぎません。「告白」(旗手啓介著、講談社)によると、一部の文民警察官はそのお題目にない仕事をさせられることに怒りを感じています。その代表者が他ならぬ隊長の山崎でした。

カンボジアPKOの一番の目的は、カンボジアに平和をもたらすことであり、カンボジア人だけの力でその達成が難しいからこそ、世界各国の軍人や民間人が来ている、という大前提を日本人文民警察官はあまり認識していなかったようです。

カンボジアPKO文民警察官の実際の主な任務は、選挙のための有権者登録の支援業務でした。国連ボランティアに付き添って、武器を持たずに警護しながら各地の村や町に赴き、住民たちに「選挙とは何なのか」のビデオを見せたり、有権者登録用の個人カードを作るために顔写真を撮影したりするなど、そうした業務を支援する役割でした。

そもそも「現地警察」といっても名ばかりで、プノンペン政府とそれに対抗する三派が、それぞれが軍とは異なる警察組織を有して、その警察組織同士が反目しあっていました。当然、現地住民もそんな警察たちを信用していません。

大阪府警文民警察官は以下のような現地警察官の姿を目撃したと記録に残しています。

カンボジア人の警察官のほとんどは昼間から酒を飲む。密輸容疑のある女性が酔っ払った警察官に声をかけられると、その女性は相手にしないで通り過ぎようとする。すると、警察官は無視されたことに腹を立ててブローニングの自動式拳銃を取り出して、いきなり撃って、射殺する。

ある警察官は密輸などしているはずのない女性に声をかけた。クメール語で、一発やらせろ、と言ったのだと思うけれど、彼をバカにした若い女は無視して通り過ぎようとした。すると、その警察官は背後から拳銃を発射した。若い女はお尻を撃たれ、ズボンを真っ赤にして必死で逃げていった。

これでは誰も現地の警察官を信用しないし、疎ましく思うだけである」

カンボジアPKO文民警察官は32か国から3500人が集まっていました。しかし、100名以上派遣した14ヶ国のうち先進国は旧宗主国のフランスだけで、それ以外の13ヶ国は発展途上国でした。発展途上国が多くの警察官を派遣した理由は、国連から支給される1日あたり1人145アメリカドルの外貨を獲得できるからです。

日本人文民警察官隊長の山崎は発展途上国の警察官のモラルの低さを次のように嘆いています。

「勤務時間中行方不明になってしまい、どこに行ったか全く分からない者、明らかに遊んでいる者。無線にしても、毎日のように犬、猫、鶏の鳴き声をまねて、仕事の連絡の邪魔をしているバカ者もいる」

UNTACの明石代表と日本人文民警察官隊長の山崎は11月18日にプノンペンで一緒に中華料理を食べています。明石は山崎に次のような苦言を呈します。

PKOの他の6部門から文民警察部門への批判が強まっている。自分のなすべきことをしていなくて、何事に対しても消極的すぎるというものだ」

こんな批判が来るのは当然だと私は思います。上記のカンボジア警察の横暴を目撃していた、との大阪府警の証言を読んでいた時、こう思わなかったでしょうか。

「そんな違法行為が現行犯で行われているのに、なぜ止めないのか」

現地警察の犯罪行為を止めないだけでなく、国連の文民警察官は一般人の犯罪行為もただ見ているだけです。カンボジアでは「各家にAK47やロケットランチャーがあり、夫婦喧嘩も銃で撃ちあいしたりする状況」なので、犯罪行為なんて嫌でも目に入ります。警察官でなくても、そんな非情な行為を目の前にしたら、止めようとするのに、PKOに来るような「ベストオブベスト」の警察官が止めないのです。ありえません。

明石の批判に対して、「現場を知らない奴がなにを言っているのか」と言わんばかりに山崎は反論します。

文民警察官には強制捜査の権限を与えられていない。全てを任意で処理しなければならないので、現場ではどこまで自分がやるべきかの判断がつきにくい。クメール語という言葉のハンデもある」

すかさず明石が反論します。

カンボジアには現在政府がない状態なので、それを代行しているのがUNTACだ。だから、文民警察官の本部長(オランダ人のルース)が強制捜査に必要な令状を発する権限を持っているはずだ」

これを聞いて、「なるほど。そうすれば、強制捜査できるのか」と山崎は考えません。むしろ日本人文民警察官の仕事は「現地警察への助言・指導・監視」に過ぎない、とのお題目にこだわり、強制捜査が現実的でない理由を述べます。

「捜査における人権に関する考え方が必ずしも他国と統一されたものではないことと、文民警察の本部長が令状を発する権限を持つなら、権力のバランス&チェックで疑問があると考えます」

山崎のこの発言に、明石は「そうかなあ」と怪訝な表情になったそうです。この会食の1週間後に、国連の文民警察官がカンボジアの治安維持に責任を負うことはできない理由を、山崎は次のように手紙にしたためて、明石に送っています。

文民警察官は3500人しかいない。北海道の2倍の国土、大阪と同じ800万の人口を有するカンボジアの治安に直接責任を負うには、明らかにマンパワーが足りない。北海警察は1万数千人、大阪府警は2万人を有している。そもそも、カンボジアの治安維持に文民警察が責任を負うことは、われわれが聞いている職務と大きく異なる」

これに対する明石の反論は載っていませんが、もし私が明石なら、こう反論していたでしょう。

「なにも日本レベルの治安維持など望んでいない。そんなことが今のカンボジアで不可能なことは誰でも知っている。私が嘆いているのは、国連の文民警察官の目前で人が撃たれても見逃されている現状である。そんな現状なら、カンボジア人は国連の文民警察官を信用しないし、国連の他の部署の者たちだって信用しない」

明石が言及した文民警察官の逮捕・勾留権は、1993年2月頃に正式に実現します。これで日本人文民警察官は正々堂々と現行犯で逮捕できるようになったかといえば、そうではありません。山崎が日本政府に判断を仰ぐと、「日本文民警察官が直接・間接に逮捕権の行使にかかわることは、PKO協力法上、不可能である」との回答をしてきたからです。

日本政府の言う通りにすれば、当然、UNTACと齟齬が生じます。山崎はドイツ人の文民警察官参謀長から直接次のように伝えられました。

「事前に日本政府に渡してあるガイドラインに『文民警察官はUNTAC内部の指示命令に従うこと。これに反する自国、あるいは第三者の指示・命令には従ってはならない』と明記されている。もし貴官(山崎)が日本の文民警察官に、日本政府の見解を伝達、指示しているなら、即座に撤回しなければならない。もしも日本政府が憲法であれ国内法であれ、逮捕権の行使を文民警察官に認めていないならば、ニューヨークの国連本部で早急に調整する必要があるだろう」

これがUNTACからの事実上の最後通告だったようです。日本の文民警察官は国連の組織に入った以上、日本政府の指示や命令よりも、国連の命令が優先される国際社会の規則を突き付けられたのです。

山崎としては、国内法に抵触しないように、どうやったら現場で逮捕権を行使できるかを日本政府に考えてほしかったようですが、日本政府は「ダメです」の一点張りでした。だったら、日本の文民警察官はカンボジアから去ればいい、と山崎は考えましたが、それも許されません。

山崎は逮捕権行使の中核となるタスクフォースのリーダーだったのですが、山崎が逮捕権の行使についてゴネるので、リーダーの職をはずされ、副隊長とともに閑職に追いやられます。山崎は「『窓際族』になりました。新しいオフィスに電話はありません! いつ設置されるかも分かりません」と日本人文民警察官たちに手紙で愚痴っています。

これで日本人文民警察官隊長の山崎と副隊長は逮捕権を行使する職務から逃れましたが、他の73名は逮捕権を行使する職務に従事する可能性があるので、なんの解決にもなっていません。山崎は「ばれないようにやってくれ」と日本人文民警察官に言ったそうです。

山崎に言われるまでもなく、AK47を自腹で買って、PKO協力法案に違反した日本人文民警察官はいたことが「告白」には書かれています。ただし、ばれないでやってくれたようで、国会で非難されることはありませんでした。

今回のコロナ騒動でもそうですが、前例のない緊急事態には、上の命令通りにやっていたら、現場はうまく回らなくなりがちです。その時に、上の命令をうまくかわして、融通を利かすことは必要になってくるでしょう。

山崎はUNTACと日本政府の板挟みにあって、平常心をなくすほどイライラしたようです。しかし、私の正直な感想でいえば、単なる警察官ならともかく、東大法学部卒で国家公務員1種合格のキャリア警察官で、しかも日本初のPKO文民警察の隊長に選ばれたほどの逸材なら、「腰が据わらない日本政府の下だと、国連との板挟みになるだろうと思っていた。ここを上手くごまかして、すり抜けることこそ、こちらの腕の見せ所だ」と考えてほしかったです。「ばれないようにやってくれ」も投げやりな言葉としてではなく、「やっぱりこうなったよ。ばれないように、うまくやってくれよ」と笑顔で言ってもらいたかったです。

山崎は日本初のPKO文民警察官の隊長として不適格だったとしか、私には思えません。

「なぜカンボジアPKOの日本人文民警察官は職場放棄したのか」に続きます。

なぜカンボジアPKOの警察派遣は失敗したのか

カンボジアPKOの警察派遣についての本である「告白」(旗手啓介著、講談社)によると、カンボジアから帰国した74名の隊員(1名はPKO中に死亡)は1993年7月、各自で報告書を作成し、階級ごとに業務検討会を行っています。その検討会の内容を総括した8枚の非公開の内部文書の一部を紹介しています。

結論としては、事前研修と事前通知の不徹底こそが最大の失敗の要因だった、となります。

75名の日本人文民警察官のほとんどは国際経験もなく、紛争地に対する特別な訓練も積んでいない各都道府県の「お巡りさん」でした。事前研修は2回に分けて10日間でしたが、そのほとんどが制服の採寸や各保険の説明、予防接種などの事務連絡でした。実質的なカリキュラムは高尾山での健脚訓練、簡単なクメール語や英語の語学研修、現地で使用するトヨタ四輪駆動の車両訓練でした。現地の治安情勢の詳しい説明や現地で流通している武器の種類や性能、銃声がしたときの対処法、事故・負傷時の救急訓練などは一切行われていません。

一方、他国の文民警察官は軍警察や軍事訓練を受けた警察官で構成されていました。スウェーデン警察は、自国のPKOレーニングセンターで2週間にわたり、国連の文民警察専門の訓練を積んでいました。カンボジアの政治状況や治安情勢や国民性、また地雷の危険性や対処法、救急訓練がカリキュラムとして組まれていました。また、インドネシア文民警察官は3週間のジャングルでのサバイバル訓練を受けています。

また、日本政府は日本の法律に従って、文民警察官は行動するように命令していました。具体的には、「なぜカンボジアPKOで警察も派遣したのか」に書いたPKO協力法案の5原則「紛争当事者間の停戦合意の成立」があるときに活動して、それが満たされない場合は「撤収」することになっていました。しかし、現地では、本国の法律がどのように規定されていようと、国連の指示に従わざるを得ない現実があります。

参加警察官の総括では「今後は国連の指示にそえるように法律を改正するか、撤収するかは国の判断によるが、いずれにしても文民警察官が板挟みにならないように措置すべきである」となっています。文民警察を75名もの大規模でPKO派遣した例はカンボジア以後にないので、事実上、日本政府は「法律の改正」ではなく「文民警察官のPKO撤収」を選んでいます。

「告白」は非公開の総括記録の最後に、次のような多数意見を紹介しています。

「今後、PKOで派遣される場合には、死ぬかもしれない、とはっきり事前に伝えておいてほしい。本人、家族に心構えができる」

100万以上もの虐殺が起こって、20年以上もの内戦が続いていたカンボジアに治安維持のために派遣されるのに、死ぬ可能性があることも、日本人警察官たちは事前に認識していませんでした。そんな基本的な情報すら伝えていないほど、準備不足だったのです。

カンボジアPKO活動が開始したのは1992年3月です。その3ヶ月後の6月15日になんとかPKO協力法案が成立してから、ようやくカンボジアに派遣する警察官の人選を始めます。カンボジアPKOは、史上最大のPKOと呼ばれるほど大規模な国連活動です。そんな重要な任務になるのなら、PKO協力法案が成立してから人選するのではなく、それ以前から人選を始めておくべきでしょう。まして、他の国からの文民警察官はとっくの前に人選を済ませて、事前研修も終わらせて、現地で働いているのです。

6月18日にカンボジアPKOの日本人文民警察官のリーダーである警察庁山崎裕人が任命されます。後の記事にも述べるように、この山崎のカンボジア認識は、かなり甘いと言わざるを得ないのですが、「告白」では取材者に遠慮したのか、取材者を客観的にみる能力が欠けていたのか(日本のほとんどのジャーナリストはこの能力が欠けています)、その指摘は一切ありません。

山崎はPKO文民警察の隊長に任命された時、「名誉なことだ。功名心がくすぐられた」と感じたそうです。「なにかあれば銃で殺人が起こるようなカンボジアで、ろくに武器も持たない警察官が行っても、治安維持などできない。どうすればいいんだ」という考えがまず浮かばなければいけないはずなのですが、そんな発想はなかったようです。

1992年7月1日、山崎はカンボジアに外務省や防衛庁総理府の官僚たちとともに、現地調査に来ます。9ヶ月も国会で審議して、ようやく成立したPKO協力法案を無駄にするわけにはいかない政府としては、「各派間の大規模な戦闘が再開されているわけではない」(これは事実ですが、逆にいえば、小規模な戦闘はそこかしこで起こっていました)として、停戦の合意はできていると結論づけています。もっとも、日本政府調査団の15名は、治安が安定して、物資も豊富な首都プノンペンばかりを5日間視察していただけです。

警察官僚の山崎も「悲観的な材料はすでに報道で出つくしているのだから、政府が自衛隊文民警察官に積極的であるなら、それを補完する視察結果を強調すべき」と考えて、「日本警察の威信を高めることになりこそすれ、全くマイナス要因はないと考えらえる」と報告しています。後の記事に示すように、現実には、カンボジアに派遣されたことで、日本警察は威信を低めこそすれ、高めることにはなっていません。

カンボジアに派遣される文民警察官は当初、警視庁や大阪府警などの大規模府県からだけ隊員を選抜する案もあったようです。短期間に紛争地に適した人材を選ぶのなら、それが正解だったでしょう。しかし、日本警察としての初めての人的国際貢献の栄誉は、全ての都道府県が等しく分かつべき、との山崎の考えで、全ての都道府県から警察官が採用されることになりました。ここでも山崎の呑気さが目立ちます。75名の人員が決まったのは8月中旬。派遣までに2ヵ月を切っていました。

カンボジアPKOでは政府もマスコミも自衛隊ばかり注目して、文民警察官はろくに注目していませんでした。自衛隊は戦闘に巻き込まれることがないように、プノンペンに近く、なにかあったらベトナムに逃げられるタケオに駐屯するように、日本政府は何度も交渉したそうです。しかし、文民警察官の派遣先については、なんの交渉もしていません。理由の一つは、文民警察官は複数の班に分かれて、それぞれ別の派遣先で勤務することになっていたので、交渉しづらかったからでもありますが、最大の理由はやはり文民警察官への関心の低さです。

なお、山崎はUNTACの明石代表やカンボジア文民警察官のリーダーのルースから、有権者登録の開始の10月1日までには日本の文民警察が来てほしい、と強い要請を受けて、山崎自身もそれを強く政府に要求していましたが、「霞が関の論理」で2週間遅れの10月14日に現地入りします。既にカンボジアPKOが活動しはじめて8ヶ月目でした。

カンボジアPKO文民警察の実態」に続きます。

なぜカンボジアPKOで警察も派遣したのか

1992年から1993年に日本が初めて国連のPKO(平和維持活動)に参加しました。カンボジアでの民主選挙を実現するため、日本の自衛隊が派遣されたことは私もよく知っています。しかし、カンボジアでのPKOのメンバーとして、自衛隊員の他、警察官がいたことは知りませんでした。当時、私はニュースを見ていたので、一度は知っていたのかもしれませんが、忘れていました。カンボジアPKOで日本人に死者が出たこともうっすらと覚えていますが、自衛隊員だと勘違いしていました。実際は警察官であることを「告白」(旗手啓介著、講談社)を読んで、認識しました。その本を読んで、改めて日本の外交の拙さを痛感したので、この一連の記事を書きます。

カンボジアPKOは軍事部門約1万6千人、文民部門約4700人から成ります。軍事部門のうち約1200人が日本の自衛隊員です。文民部門のうち文民警察は約3500人で、そのうちの75名が日本人になります。この75名の日本人の多くは、海外勤務の経験もない各都道府県に所属する「普通」の警察官です。

PKO文民警察部門が本格的に加わったのは1989年のナミビアの約1500名からで、1992年当時、それほど歴史はありません。

日本外交のトラウマ」と「湾岸戦争のトラウマ」に書いた理由から、日本政府はカンボジアPKO派遣に徹底的にこだわりました。当然、野党や世論は猛反対し、1991年9月に提出されたPKO協力法案は1992年6月にようやく成立します。UNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)は既に3月から活動を開始しており、各国の軍隊や警察はカンボジア入りしていました。

PKO協力法案の27の条文は、ほとんど自衛隊に関するもので、文民警察に関しては第3条第三号の「チ」と「リ」しかありませんでした。国会での議論も、ほぼ全てが自衛隊に関するもので、マスメディアも世論も警察の派遣には全く注目していません。この徹底したPKO警察官への無関心が、失敗の大きな原因の一つです。

PKO協力法案には以下の5原則がありました。

1、紛争当事者間の停戦合意の成立

2、紛争当事者の受け入れ同意

3、中立性の厳守

4、上記の原則が満たされない場合の撤収

5、武器の使用は必要最小限

1991年10月23日に、内戦を続けてきたプノンペン政府、シアヌーク派、ソン・サン派ポル・ポト派はパリ和平協定に調印し、停戦合意しています。これで1の「紛争当事者の停戦合意の成立」の条件は満たしているのですが、現実にはポル・ポト派は停戦違反を繰り返して、プノンペン政府軍との戦闘が頻発していました。つまり、1の条件が満たされていないと判断する余地ができ、そうなると4の「撤収」につながってしまいます。しかし、カンボジアの現場を放棄して、勝手に撤収などできるわけがない(国際法上もそうであるとUNTACから後に言われる)ので、これがPKO警察官のほぼ全員に「上の連中は現場を分かっていない!」との不満の声を上げさせることになります。

日本の政治家もマスコミも国民も自衛隊のことばかり考えていたのだから、警察なんてカンボジアに派遣することなかった、という考えもあるでしょう。実際、カンボジア以後に自衛隊は多くのPKOに参加していますが、警察庁は1999年に東ティモールに3名文民警察官を派遣した以外、一切警察官を派遣していません(と「告白」には書いていますが、wikipediaの「自衛隊カンボジア派遣」によると、2006年の東ティモール文民警察官は参加しているようです)。

では、なぜ日本はカンボジアPKO文民警察を派遣したのでしょうか。その根本的で重要な問題を、「告白」では、ほとんど考察していません。当時の駐カンボジア日本大使の今川の下記のような「下衆の勘繰り」を載せているだけです。

自衛隊の海外派遣は、やはり反対が大きいだろう。自衛隊だけ送るとなると、目立ちすぎる。だから、それをなんとか中和するために、丸腰で武器を持たない警察官も送ったのではないか」

「なぜカンボジアPKOの警察派遣は失敗したのか」に続きます。

男子問題の時代

「男子問題の時代?」(多賀太著、学文社)によると、西洋諸国の方が男子問題に対する人々の関心は圧倒的に高いそうです。特に学齢期の男子にみられるさまざまな問題は、深刻な社会問題として見なされてます。各国のメディアは、男子の方が恵まれない性であると言わんばかりの報道を繰り返しているそうです。

西洋諸国でも1990年代までは、ジェンダー問題といえば、女性の問題と同義でした。なぜ男子の不利益が強調されるようになったかと言えば、イギリス、ドイツ、アメリカなどの多くの西洋諸国の学力で、女子の平均が男子の平均よりも優位に高いことが判明したからです。2007年のアメリカでは、女子の大学進学率は男子よりも1.3倍も高く、ドイツで最も学力が高い中等教育機関ギムナジウムの進学者は女子の方が多く、大学進学率も女子の方が高くなっています。

また、男子は女子に比べて、特殊学級で学ぶ割合が高く、学習障害と診断される割合が高く、留年率が高く、自殺率が高く、虐待の被害者となる割合が高く、刑務所に収容される率が高く、学校生活を楽しむ度合いが低く、学校生活で失敗しやすい態度を持ちやすいことが、どこの国で調査しても共通して示されました。

これらの統計事実から、オーストラリアで2005年から2006年にかけて国家予算2000万ドルもの「男子のための成功計画」が実行されています。

1990年代半ばから、学齢期の男子が問題であるとの認識が西洋諸国で広く受け入れられているのに対して、同じ先進国の日本では、そんな問題意識は広がっていません。著者が指摘している通り、日本で問題になっている男性の問題といえば、学齢期ではなく、青年期です。

「フリーター」と「ニート」は代表的な男性青年期問題の専門用語でしょう。フリーターとニートは必ずしも男性だけを指す言葉ではないのですが、既婚女性や家事従事者は除くという定義から、男性が一家の稼ぎ手という前提のもとに社会問題化してきた側面が大きい、と社会学者が指摘しています。

また、日本だけに存在する「草食系男子」という言葉も、性関係や恋愛に対して積極的になれない「男子」の問題とされています。古今東西、恋愛や性関係に積極的になれない草食系女子は草食系男子より遥かに多くいて、現代日本の草食系女子の異常な拡大が草食系男子を社会問題化するほど生んでいると私は思うのですが、そんな発想をするのは日本で私だけかもしれません(とはいえ、恋愛に積極的でない女性が恋愛に積極的でない男性より遥かに多くいるのは簡単に統計で示せます)。

ところで、学齢期の女性優位の格差は、日本でもあります。少年鑑別所入所者に占める男子の割合は女子の8倍以上であり、不登校やひきこもりは圧倒的に男子の方が多く、19才以下の自殺者に占める男性の割合は69.3%と女子の2倍以上です。それにもかかわらず、なぜ日本では青年期の男性問題は提起されても、学齢期の男性問題は提起されないのでしょうか。

その理由は一つではありませんが、日本の大学進学率において、男性が女性をまだ上回っていることは大きいでしょう。また、青年期の自立の困難、親への依存期間の延長、特に若者の就職難については、欧米では男女問わず、1970年代から話題になっていました。だから、学校から社会へスムーズに移行できない青年期の男性問題は、1990年代には欧米社会で真新しくなく、むしろ学齢期の男性問題が注目を集めはじめたようです。日本でも欧米のように、いずれ学齢期の男性問題が注目される時代が来るのかもしれません。欧米では、学齢期の女性優位がいずれ社会全体での女性優位につながる、と恐れられているために注目されているようです。

学齢期の男性問題は注目されていませんが、成人期の男性の生きづらさは日本で盛んに語られています。内閣府の全国調査で、「現在幸せである」と回答した人の割合は、2000年から2010年までの8回全てで、女性よりも男性で低くなっています。しかし、一方で、男女の賃金水準、国会議員の比率、管理職の比率のように、他国に比べての圧倒的な男性優位もあります。「男性優位なのになぜ男性が生きづらいのか」の理由として、著者は「無理をして男性優位の社会を維持しようとしている副作用」と指摘しています。私も全く同感です。

女が貧乏な男と結婚していれば少子化など解決する」でも指摘したように、これは男性側のプライドの問題が大きいでしょう。もちろん、どんなに自分の収入が高くても男性に自分以上の収入を求めて当然と考え、弱者男性を無視してきた女性にも原因があります。

男性に生まれたからこそ、女性と恋愛をしたり、性関係を結んだり、結婚したりする機会に恵まれない「恋愛貧者」や「結婚難民」は若い世代に少なくありません。「女の方が損だ」と思っている女性全員に、男性並みの性欲を持ちながら、そんな人生に耐えられるか、質問してほしいです。特に、弱者男性を完全に無視して、女性は常に被害者という固定観念を持ち続けている(としか思えない)朝日新聞の記者には、必ず聞いてほしいです。

生活保護を現物給付にする

日本の公的医療保険と公的介護保険は、現物給付です。病気になったら、介護の必要が出てきたら、お金がもらえるのではなく、治療や介護を格安で受けられる制度です。

他の全ての社会保障も現物給付にした方が好ましいのではないでしょうか。

たとえば、収入の少ない人のための公的扶助、つまり生活保護は現在のように現金給付ではなく、次のような食事給付、住居給付に変えた方がいいように思います。

生活保護を受ける方は、そのための集団住宅で生活します。もともと一人世帯の生活保護者であれば、風呂とトイレは共同になります。集団施設内では健康的な給食を決まった時間に集団で摂ります。この集団住宅施設には給食を作るなどの介護者だけでなく「一人の取りこぼしもない社会」にも書いたような人的支援者(ソーシャルワーカー生活指導員)が常勤で働き、そこでの生活者たちの社会復帰を支援します。生活保護者の医療費や授業料や通勤通学の定期代は無料になりますが(医療費は現在でも無料です)、原則、自由に使えるお金は一切支給されません。衣服は、施設利用者が衣料品店で選んだ現物を無料で受け取り、後で衣料品店に当該衣服費が支給されるシステムになります。ただし、一人の利用者が無料で受け取れる衣服の総額は制限があります。石鹸やシャンプーや歯ブラシなどの衛生用品、各種洗剤、文房具などの消耗品は施設内の物を借りて使用します。施設にある簡単な娯楽(集団でのテレビ、カードゲーム、ボードゲーム、卓球などのスポーツ器具、たまのカラオケ)以外の全ての娯楽は制限されます。

この第一のメリットは、現在よりも生活保護者の生活費用が安くすませられることです。一人一人が別の世帯として暮らすよりも、大人数が一つの施設で暮らす方が何割も安上がりです。もちろん、こういった施設を作るために当初の費用は高くなりますが、維持費は安くなります。その分、人的支援に費用をかけられます。

第二のメリットは、生活保護者を堕落させず、健康的な生活を提供でき、社会復帰を今より遥かに促進できることでしょう。パチンコなどのギャンブルはできませんし、テレビゲームもできません。食事はジャンクフードを一切出さず、健康に配慮したものになります。今の病院食の2倍は費用をかけて、「生活保護の集団施設は健康的で多様な食事を提供する代表的な場所である」と思われる程度にはしてほしいです。就寝時間は決まっていませんが、起床時間は決まっており、特別な理由がなければ、その時間に起こされます。昼寝は原則禁止です。場合によっては、以上のようなルールを守らせる生活指導員ソーシャルワーカーの他にいた方がいいかもしれません。

以前私が提案した「子ども集団生活施設」同様に集団生活保護施設ごとに特性があるべきで、利用者はソーシャルワーカーと合意すれば、別の集団生活施設へ転居することもできます。

施設常勤のソーシャルワーカーは利用者が無為な毎日を過ごすことがないように、就職活動や作業所参加や文化的活動(図書館の利用など)を促します。ソーシャルワーカーは利用者の多種多様な相談に応じ、利用者に合わせた社会復帰の方法を一緒に考えていき、毎日の過ごし方も利用者と計画していきます。ソーシャルワーカーには大きな権限が与えられ、例えば、ソーシャルワーカーの提案した就職斡旋所に何日も行かないで悪い友だちと遊んでばかりいることが判明すれば、その利用者の外出を禁止する権限を持たせていいと思います。

ただし、これだけだと、ただでさえ息抜きが必要な利用者の自由を制限しすぎるので、以下のような一定の金額の入ったプリペイドカードはソーシャルワーカーの許可の元、利用者に持たせていいと思います。

このプリペイドカードは、クレジットカードと同様、日本のほぼ全ての場所で使えますが、使用記録が残ります。ソーシャルワーカーが社会復帰に適切と判断すれば、利用者はそのプリペイドカードでパチンコを楽しむこともできますが、パチンコのために使うとソーシャルワーカーと合意していなかったのに、利用者がパチンコをしていたら、翌月からプリペイドカードの利用を禁止されるか、利用金額を減額されます。

このような生活保護制度が確立されたら、失業給付は解消していいはずです。医療や介護同様、生活保護も現物給付が本人にとっても社会全体にとっても効果的だと考えますし、効果的にできると考えます。

大乗非仏説

日本に仏教が伝わってきてから1000年間以上、仏教がブッダの教えと一致しないと日本人は夢にも思っていませんでした。もっと言えば、現在も、ほとんどの日本人はそれを知りません。

日本に伝わった大乗仏教ブッダの教えと異なるようだ、と日本人が初めて気づいたのは江戸時代のようです。それまでの日本人は、空海最澄親鸞日蓮などの著名な僧侶を含め、仏典に書かれた教えは、ブッダ本人が語ったものと信じて疑っていません。日本人は古代サンスクリット語を解さないので、中国で翻訳された漢字の仏典を勉強したのですが、原典と対照して、その違いを探して、翻訳者の意向を除去することで、原典の著者の考えを求める、という科学的手法をとることはありませんでした。仏教発祥の地のインドに行くこともできず、原典も手に入らなかったので、翻訳書が正しいと仮定するしかなかったからでもあります。

戦国時代までは寺に宗派が複数入っていたり、どの宗派か確定していなかったりした寺も少なくなかったようですが、江戸時代に寺請制度が確立されてからは、現在のように日本中のほぼ全ての寺がある特定の宗派に強制的に属することになります。

全ての日本人が特定の寺の檀家になる義務が生じたことで、僧侶の需要が増大し、ほぼ必然的に僧侶の質の低下を招いてしまいます。同時に、仏教を批判的に考える学者が現れたようで、そのうちにブッダのもともとの教えは小乗仏教上座部仏教)に近いことに気づく学者も現れます。ついには「大乗仏教ブッダの教えと大きく異なるので、仏教とは言えない」という大乗非仏説が江戸時代に現れています。

神道儒教・仏教」(森和也著、ちくま新書)によると、江戸時代に仏教を否定する根拠として、「仏教発祥地のインドはイギリスの植民地になっている」事実がよく引用されたようです。「神道儒教・仏教」の著者は「国の盛衰と、その国の宗教の優越は本来なんの関係もないはずであるが、その発想をする江戸時代の学者は一人もいなかった。『インドはイギリスに侵略されている』→『インドで生まれた仏教も否定すべきである』としか考えられなかった」と批判しています。仏教を信じることで国を守る思想、いわゆる鎮護国家思考は奈良時代からあるようです。著者の言う通り、鎮護国家が否定されたら、仏教も否定されるのは、おかしな話です。もう一つおかしいと思うのは、イギリスに侵略されていた頃のインドで仏教は信仰されておらず、ヒンドゥー教イスラム教が主に信仰されていた点です。だから、「インドは仏教をやめたからこそ、イギリスに支配されてしまった。やはり仏教は国家を守ってくれる」という見解も可能なのに、そう考える日本人はいなかったようです。

仏教がブッダの教えから乖離してしまった理由の一つは、ブッダ自身が教えを書物に残さなかったことにあります。ブッダは生きた話し言葉を重視しており、書き言葉を軽視していたようです。話し言葉の重視はキリスト教イスラム教とも共通しています。イエスムハンマドも自身の著作は残しませんでした。言葉の内容よりも外見や話し方で印象が変わる「メラビアンの法則」をそれらの教祖たちは知っていたのかもしれません。

「教養として学んでおきたい仏教」(島田裕巳著、マイナビ新書)の著者は、ブッダ現代日本の仏典のように難解な言葉を話していたのではなく、分かりやすい言葉で教えを広めていったに違いない、と推定しています。事実、新約聖書同様、パーリ経典には多くの分かりやすい例え話があります。しかし、中国ではすぐ理解できる言葉を軽視してしまう文化があったため、仏教を難解な言葉に翻訳してしまったのだろう、と島田裕巳は考えています。その意見に私も同意します。日本も中国同様、難解な言葉をありがたがる文化があるため、現在のように、仏教文化は普及しているのに、仏教をよく知らない状況になってしまったのではないでしょうか。

なお、大乗仏教ブッダの教えと異なることは事実ですが、その事実が仏教国で周知される時代は来ないでしょう。キリスト教国でキリスト教を否定する事実が周知されないことと同じです。宗教は信じることが重要で、事実がどうであるかはそれほど重視しない要素を必ず持ってしまうようです。

ブッダと輪廻転生

日本の仏教は大乗です。大乗仏教ブッダ(ゴウタマ・シッダールタ)の教えとかなり異なっていることは間違いありません。仏教最古の経典の一つであるパーリ経典と比べると、大乗仏教の教えはおかしいところだらけです。また、パーリ経典自体も、ブッダの教えをそのまま伝えたものでは決してありません。だから、「パーリ経典にも書いてあるから、大乗仏教の〇〇の教えはブッダが説いたものである」という主張はおかしいです。少なくともパーリ経典の中ですら、矛盾があります。

おそらく最も有名な矛盾で、何千回も議論されているパーリ経典の矛盾は、「死後について私(ブッダ)は語らない」と言っているのに、ブッダが輪廻転生の話をしている点でしょう。

間違いないのは、ブッダが輪廻転生の概念を作り出したわけではなく、ブッダが生きていた時代にインドで輪廻転生の考えが一般民衆に普及していたことです。

おそらく、「ブッダが新しい死後の概念を生み出したことはない」が、「民衆が輪廻転生を信じているので、ブッダはそれを否定せずに、苦からの解脱の方法を説いた」のだと私は推測します。仏教では、現世以外にも地獄や天国などの六道(初期仏典では五道)があるようですが、そんな輪廻転生観をブッダが言い始めたことはまずないでしょう。輪廻転生は当時のインドの民衆宗教(バラモン教)に存在していただけで、ブッダが輪廻転生について深く考えることも、深く語ることもなかったと推測します。ブッダとしては解脱(涅槃)を現世の一切の苦からの解放という意味で使いたかったが、それだと輪廻転生を信じている民衆には大したご利益に思えなかったので、解脱を輪廻からの解放という意味も持たせた、と推測します。

インドで信仰されていたバラモン教を駆逐して、仏教が普及した大きな理由の一つに、輪廻の否定があった、と私は考えます。バラモン教ヒンドゥー教で、輪廻はジャーティ(カースト制)と密接に関係しています。そして、ジャーティは生まれで幸不幸が決まる非常に不公平な思考体系です。輪廻を否定すれば、ジャーティの否定にも繋がります。特に、最多の最下層の民衆にとって、輪廻の否定は幸福と直結したはずです。

輪廻の否定は、仏教と同時期に普及したジャイナ教にも共通しています。また、現代のインド仏教の教祖ともいえるアンベードカル(ガンジーと同時代にインド独立にも貢献した人物)も輪廻を否定することで、数十万人の不可触民を仏教に改宗させています。輪廻の否定がなければ、仏教がインドで普及することもなく、ひいてはアジア全体に広がることもなかったと推測します。

しかし、問題だったのは、仏教が輪廻の概念を含んでいたことです。もしかしたらブッダは輪廻を全否定していたのかもしれませんが、少なくともパーリ経典ができる頃には、仏教は輪廻転生を前提とした教義を持っていました。輪廻転生という科学的に証明できない概念を前提としていれば、多様な教義が入ってくる余地が生まれます。大乗仏教をへて、密教になると、民衆宗教(ヒンドゥー教)の神がどんどん仏教に取り入れられてしまいます。大日如来だとか、弥勒菩薩だとかの訳の分からない神様をブッダが崇めるように言ったことは絶対にありえません。

仏教が多神教となり、密教のように教えも複雑怪奇になってくると、ヒンドゥー教と仏教の区別もつかなくなってきてしまいます。結果、仏教はヒンドゥー教に取り込まれて、上記のアンベードカルの仏教再興の時代まで、インドで千年以上も事実上消滅していました。

もし仏教が輪廻という概念を完全に払拭できていれば、インドでヒンドゥー教が仏教を取り込むこともなかったかもしれません。その場合、現在もインドは仏教、もちろん上座部仏教が主流となっていた可能性があり、中国や日本にも上座部仏教が伝わってくることにもなり、世界史は大きく変わったことでしょう。

安楽死と自己安楽死と自殺と老衰

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オランダ安楽死統計

オランダの安楽死の統計は上記の通りです。ここで注目したいのは、安楽死した場所の8割が自宅であること、および、安楽死させた医師の85%が家庭医であることでしょう。

以前の記事でも書きましたが、欧米では自宅近くの医師を家庭医として登録することが義務づけられています。緊急時でもない限り、患者はどんな病気でも(妊娠でも)登録してある家庭医(クリニック)にかかり、大抵はそこで解決します。高度な医療機器による検査や手術が必要と判断された時だけ、患者は家庭医からの紹介状を持って、病院にかかります。家庭医は患者を長期にわたって診察し、患者の生活、性格、信条、家族関係を熟知しており、患者との信頼関係もあります。この医師と患者の関係をもとに、オランダの安楽死制度は成り立っているのです。日本には家庭医制度がないので、オランダの安楽死制度をそのまま導入するのは難しいかもしれません。

なお、オランダで安楽死は患者の「権利」ではありません。患者からの安楽死の要請に、医師が必ず応える義務はありません。医師が自身の信条として安楽死を行わないことは認められます。また、安楽死を容認する医師でも、当該のケースは前回の記事に書いた「注意深さの要件」を満たさないと考え、あるいは複雑すぎると考え、引き受けない場合もあります。安楽死の最終決定権は患者ではなく、それを実行する医師にあります。だから、患者の要請があっても、医師に安楽死が断られるケースはあります。実際、オランダでも約半数の安楽死の要請は、実施に至らないそうです。

しかし、上記のように安楽死を実行してくれるのは、現実には近所の家庭医くらいしかいません。その家庭医がたまたま安楽死否定派だったりしたら、患者は安楽死を諦めるしかなくなります。そんな問題を解決するために2012年、生命の終結クリニック協会(SLK)が設立されました。

患者がSLKに安楽死を要請すると、SLKのチームが患者に何度も面談し、「注意深さの要件」を満たしているか検討します。審査には平均10ヶ月もかかるそうです。家庭医に断られたケースが多いせいか、安楽死の実施に至るケースは4分の1程度です。とはいえ、数時間で安楽死が実施されるケースもあるようです。2012年にSLKによる安楽死は32件でしたが、2016年には487件と増加しています。

SLKにより安楽死の適用範囲が拡大している懸念はあります。特に、認知症精神疾患を理由とした安楽死を認めるかどうかは、どこの国でも難しい問題です。オランダの家庭医もこういったケースは避けたいようで、2002年に安楽死法ができてからしばらく、認知症患者の安楽死は0件が続き、2009年に始めて12件が報告されています。それからは増加の一途で、2016年は141件まで増えました。精神病患者の安楽死も2009年の0件から2016年の60件まで増えています。2015年に認知症患者の安楽死の4分の1はSLKにより実施され、2016年にその割合は3分の1まで増加しています。精神病患者の安楽死については、実に75%がSLKにより実施されています。しかも、これらの統計は地域安楽死審査委員会の年次報告書にはなく、SLKの年次報告書から自ら数えて調べないといけません。

こういった問題があるため、オランダ医師会はSLKに反対の立場です。しかし、オランダの家庭医は、患者の生命終結という厄介な業務を丸投げにできるので、SLKを歓迎しているようです。

安楽死の注意深さの要件にはbの「永続的かつ耐えがたい苦痛」があります。オランダでこの「耐えがたい苦痛」は肉体的でなく、精神的なものでも構いません。日本では考えられませんが、次の2件のような精神的苦痛を理由とした安楽死も判決で認められています。

1件目 50才女性。ひどいアルコール中毒家庭内暴力のある夫と離婚。その後の3年の間に二人の息子を亡くす。精神病院に入院したが、彼女の精神的苦痛はなくならない。医師は利用可能ないかなる精神科の治療も彼女に効果がないとの結論に達し、女性に致死薬を渡し、女性はそれを服用し、死亡。

2件目 86才。元上院議員。肉体的には健康。しかし、人生の楽しみと生きる意欲を失った、QOLと存在の意味が欠けていると訴え、安楽死。裁判では「老いの苦しみも安楽死の理由となりうる」と判示された。

このような判決もあるので、オランダの地域安楽死審査委員会は「耐えがたい苦痛」をほとんど議論していないようです。2016年に認知症と精神病で安楽死した201件のうち、「耐えがたい苦痛」でないと裁定されたのは、たったの1件でした。患者と医師が「耐えがたい苦痛」であると判断した場合、患者が亡くなった後にそれが適切な判断だったかどうか、赤の他人には裁定しづらいからです。実際のところ、注意深さの要件の「耐えがたい苦痛」、さらには「病状の合理的な解決法が他にない」までも、あいまいに解釈されるようになって、「患者が熟慮のうえで自ら死を決断した」という自己決定権だけが現在のオランダでは重視されているようです。

このようにオランダの安楽死は、日本と比較にならないほど広い範囲を対象にしています。それにもかかわらず、安楽死ではなく「自己安楽死」するオランダ人までいます。安楽死を家庭医に拒否された人や、煩雑な手続きを面倒に感じる人などが自己安楽死を選んでいます。方法としては、断食による餓死、薬をためこんで大量服用、ビニール袋をかぶってヘリウムガスによる窒息死などがあります。医師が報告する自己安楽死は2015年で2680件、全死亡者の1.8%です。自然死にみせかける場合もあるので、実数はもっと多いと推測されています。

前回の記事に示した通り、現在のオランダでは安楽死する人が4%もいて、さらに自己安楽死する人が2%もいるのです。

一方、延命至上主義がはびこりすぎている日本での安楽死はほぼゼロです。ここまで安楽死が認められていないからこそ、日本で自殺者が多いのではないでしょうか。日本では高齢者が毎年1万人以上自殺で亡くなっていますが、自殺させるくらいなら、安楽死を選ぶ権利を認めさせるべきだと考えます。

ただし、最近の日本の死亡統計で増えている老衰(≒餓死)は自然死に近く、好ましい最期だと私は考えています。2018年の統計で日本での老衰は全死亡の8.0%になります。この数値を見ると、日本に安楽死法がなくても、事実上の安楽死は行われている、とみなせるのかもしれません。

社会的弱者に死を強要しないために

今回の記事は「安楽死尊厳死の現在」(松田純著、中公新書)を元にしています。

2001年、オランダは安楽死を合法化した世界で最初の国です。オランダの安楽死法によると、患者の要請に基づいて患者の生命を終結させる医師は次の六つの「注意深さの要件」を満たさなければなりません。

a,生命終結または自死介助への患者の要請が自発的で熟慮されたものであると医師が確信していること

b,患者の苦痛が永続的かつ耐えがたいものであると医師が確信していること

c,患者の病状および予後について、医師が患者に情報提供していること

d,患者の病状の合理的な解決法が他にないと医師および患者が確信していること

e,医師が少なくとももう一人の医師と相談し、その医師が患者に相談し、かつ上記aからdまでに規定された注意深さの要件について書面による意見を述べていること

f,医師が注意深く生命終結を行うか、または自死を介助すること

a~fの注意深さの要件に基づいて安楽死または自死介助を実行した医師は、以下の5部の報告書を自治体の検死官に届け出ます。

1、患者の病歴、病状、治療の現状と見通しなど

2、安楽死への患者の要請が熟慮され、持続性をもつか

3、生命終結に関する患者の明示的な要請

4、セカンドオピニオンを得るための他の医師との相談、およびその医師からの助言

5、生命終結の実際の行為

自治体の検死官は検死を行い、書類を参照して遺体に不自然なところがないかを確認します。問題がなければ、遺体は埋葬または火葬されます。

検死官は検死の報告書とともに、医師から提出された5部の報告書を地域安楽死審査委員会に送ります。ここで上記のa~fの注意深さの要件が満たされているかを判定します。地域安楽死審査委員会は医師、法律家、倫理学者の3名で構成され、ここでの審査が通れば、実行した医師に結果を通知して、案件は終わります。もし審査に通らなければ、その裁定結果と書類全ては検察に送られ、医師が刑事訴追される可能性が出てきます。

安楽死法が施行された2002年に安楽死の届け出数は2000件未満でした。その後は増加していき、2017年には6600件になり、オランダの年間死者数の4.4%を占めます。

ところで、安楽死には、医師が死期を早めるための薬などを投与する積極的安楽死と、医師が死期を遅くするための治療を行わない消極的安楽死があります。日本では積極的安楽死と消極的安楽死を明確に区別しますが、オランダではそれらを区別せず、どちらも統計上は安楽死としています。その代わり、自死のための致死薬を医師が処方して患者自ら服用することを「自死介助」として、安楽死と区別して集計しています。その集計結果が下のようになります。

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上のグラフで「両方」とあるのは、患者自らの服用によってうまくいかなかった場合に、医師が最終的に処置を行うケースです。処方された致死薬を患者自らが服用する場合、途中で薬を吐き出したりすることがあります。それは返って悲惨な結末を招くので、医師による致死薬の直接投与(積極的安楽死)がオランダでは推奨されています。医師が直接手を下すよりも、患者が致死薬を服用してくれた方が医師の精神的負担は軽いと思うかもしれませんが、オランダの医師はそう考えません。上記の危険性があるので、医師は自ら致死薬を投与する方が安心らしいです。

オランダの地域安楽死審査委員会は毎年、前年度の全報告書の中で、要件を満たしていないと判定された案件について、また、要件を満たしていると判定されたけども議論になった案件について、匿名性を保持したうえで公表しています。それとは別に保険研究開発機構の調査チームが、安楽死の実施状況について、5年ごとに系統的に調査し、その評価結果を国内外に公表しています。その評価結果によると、「すべり坂」(公共政策にすると、障害などを抱えた弱い立場にある人が家族や社会の負担とされ、本人の意思に反して被害を受ける可能性が増大すること)は起こっていないようです。むしろ、安楽死を希望する者は高学歴者に多いそうです。

私の実体験からしても、これはうなずけます。日本で終末期医療の講演をさせてもらったことがあるのですが、そこに出席している高齢者は明らかに知的レベルの高い方たちでした。

安楽死法が成立したら、「すべり坂」ができると恐れている障害者はいるかもしれませんが、必ずしもそうでないことをオランダの例は示しています。とはいえ、ナチスのT4作戦のようなことが絶対に起きないように、有効な事後調査体制は必要不可欠です。

次の記事に、安楽死の問題について、さらに記述しておきます。

命の選別は間違っているのか

ポストコロナは社会でなく医療体制を変えるべきである」で高齢者や基礎疾患のある方が新型コロナに罹患した場合、人工呼吸器で一時的に助かったとしても、遠くないうちに別の感染源から肺炎で亡くなる可能性が高いので、人工呼吸器の優先順位を下げるべきだと主張しました。その意見をブログで公開した6月24日の朝日新聞で「障害者は問う、命の選別が起きはしないか」という記事がありました。

確かに、障害を理由として死の強要があったら大問題です。残念ながら、医療の歴史ではそのような過去があります。

戦前まで日本医療界が規範としてきたドイツではナチス時代のT4作戦により、医学の権威の学者たちが精神障害者知的障害者を「生きるに値しない」と判断して、25~46万人もの障害者たちの安楽死が本人の同意なく行われました。このもととなった思想は、元ドイツ帝国最高裁判所長官ビンディングが確立した優性思想や社会進化論にあります。ビンディングは治癒不能知的障害者を社会が養っていることを浪費と判断し、彼らを殺害により救済してあげることは行政の義務とまで主張していました。

この人道にもとる大失敗があったため、ドイツでは戦後「安楽死Euthanasie」という言葉が禁句となり、代わりに「臨死介助Sterbehilfe」という言葉が使われ、その臨死介助が法律で禁止されるほど、「安楽死」を忌避しています(ただし、安楽死容認の流れはドイツでも止められず、2020年2月に臨死介助禁止法が憲法違反との判決が出ています)。

2020年6月25日には、旧優生保護法により障害を理由に不妊手術を強制していたことについて、日本医学会連合が責任を認め、お詫びの発表をしました。日本でも障害を理由に医療者が命を選別していた前科があります。

しかし、だからといって、「心身の障害や病、高齢を理由に、救命治療から排除されることは絶対に許されない」と主張されたなら、それには反論したいです。残念ながら、命の選別をするべき時は、現実に存在するからです。

災害などで大量の傷病者が発生した時、全ての人を同時に救えない時には、救命の順序を決めざるを得ません。その優先順位は、医療体制と設備を考慮して、傷病者の重症度と緊急度によって決まります。つまり、処置を施すことで命を救える患者を優先します。命を救えるかどうかを判断するとき、「心身の障害や病や年齢」を無視することはできません。それが救急医療におけるトリアージ(選別)です。

現状、トリアージは同時に多数の傷病者が殺到した時のみ行われます。今回の新型コロナのように、人工呼吸器が必要な患者が連日運ばれてくる場合、「トリアージ」は行われません。しかし、人工呼吸器は人数分ありません。では、医療の現場では、こんな時にどうしているのでしょうか。実は、早い者勝ちになっています。「既得権益者」から人工呼吸器をはずすことはできないので、新しい患者は人工呼吸器の順番を待つことになります。そして、「既得権益者」は人工呼吸器をはずしても、まず死なない状況まで人工呼吸器を使用できるので(人工呼吸器を止めて死ぬことを現代医学では極端に避けるので)、なかなか次の人に人工呼吸器の順番が回ってきません。結果、今回の欧米での新型コロナ流行時のように、人工呼吸器が足りないなどの現代医学が想定していない状況になると、死者が続出することになります。

これが社会的に公平と言えるのでしょうか。早い者勝ちが最も好ましい「トリアージ」なのでしょうか。

そうではないはずです。だからこそ、災害時とは異なる「トリアージ」を私は提案しました。たとえば、「人工呼吸器を外しても死亡する確率が10%未満になったら、人工呼吸器をつけると99%助かる人に人工呼吸器をゆずる」あるいは「人工呼吸器をつけて今回助かっても1年未満で死ぬ確率が90%の人が病院に来た場合、人工呼吸器をつけると10年以上長生きできる人があと30分以内に99%来るのなら、人工呼吸器は次の人のためにとっておく」などのルールを予め決めておくべきだと思います。なお、このルールは命の選別という重大な判断の基準になるので、医療者だけで決めるべき問題でないことは間違いありません。

しかし、改めて考えてみると、「どの基礎疾患のある人はどうなれば人工呼吸器をはずしたら死亡率10%になるのか」といった詳細なエビデンスなど現代医学には存在しません。医学が上記のような細かい確率を導き出すためには、あと50年は必要だと推測します。おそらく、上記のようなエビデンスが出揃う未来には「医療の本質」に書いたように、医療判断はAI化されて、既に医者のいない世界になっているでしょう。

現代医学は未熟なので、上記の確率はおおよその予測になってしまいます。だとしたら、「この患者が死んでしまうかもしれないが、もっと重篤な患者のために、人工呼吸器をはずす」や「次の患者のために、今救える命を見捨てて、人工呼吸器をとっておく」などの判断を現場の医者、あるいは人間が即座にすることは許されないでしょう。「早い者勝ち」は現代医学ではやむを得ない側面があると考えます。

ただし、視点を変えれば、未熟な現代医学の世界でも「早い者勝ち」だけではない仕組みを作り上げることはできます。「他に人工呼吸器が必要な人がいたら、私には人工呼吸器を使用しないでください」とあらかじめ事前指示書を作成しておくことです。「死生観の社会的向上と個人の幸福」で提案した安楽死法の制定と、ACP(advance care planningどのような終末期を過ごすかを医療者や介護者たちと相談して決めておくこと)の普及です。

安楽死法をつくったり、ACPを普及させたりしたら、障害者を死に追いこませると考えるかもしれませんが、そうとは限りません。次の記事では、オランダでの安楽死の現状を紹介しながら、「安楽死法があるからといって、社会的弱者が死に追いこませるわけではない」ことを示します。

ポストコロナは社会でなく医療体制を変えるべきである

新型コロナによる感染は日本で落ち着いてきています。「未来社会の道しるべ」というブログタイトルをつけているのに、このブログでは未来予想と進むべき道をほとんど示していないので、ポストコロナについて簡単な予想と「道しるべ」を記述しておきます。

コロナショックは、経済や社会への悪影響を考えると、世界全体で自粛しすぎだったと私は考えています。ほとんど自粛しなかったスウェーデンは正解だと判断しています。スウェーデンの新型コロナ死者数はこれから増えるとしても、肺炎での年間死者数を越えることはないでしょう。

今回の新型コロナで大きな被害を受けたのは、高齢者、基礎疾患のある方、および一部の医療機関従事者になります。4月~5月の新型コロナ自粛期間、私を含む多くの医療機関従事者はいつもより暇になってしまいました。私の知り合いの耳鼻咽喉科開業医が「閑古鳥が鳴いている」とぼやいているので、診療時間中に行ってみたら本当に一人も患者さんがいませんでした。海外も国内も観光が全くできなくなるほど病気が蔓延しているはずなのに、多くの病院やクリニックが暇になるのはおかしな話です。

この機会に感染症の歴史本を読んだ人も多いと思います。そのほとんどの本に書いてあるように、全ての感染症を撲滅することは不可能です。細菌やウイルスの基本性質は、進化しながら生物とうまく共存していくことです。そうであるなら、新種の感染症が蔓延し、生物に死者が出るのは、ある程度、仕方がないはずです。

結局、どの程度の被害が出るので、どの程度の自粛をすべきかの問題になります。総合的に考えて、今回の被害で、今回の自粛は明らかに行き過ぎだったでしょう。

特にアジアでは死亡率が極めて低かったことを考えると、経済も社会の流れも止めすぎでした。たとえば、日本の2018年の年間死者数は136万人、肺炎死者数が13万人です。しかし、新型コロナ死者数は1000人程度しか出ていません。第二波がきても2000人を越えることはないでしょう。肺炎死者の誤差程度の数で医療崩壊がかりに起こっていたとしたら、社会全体を自粛させるよりも、一部の医療機関の対応を変えるべきです。

災害時には、トリアージといって、救うべき人の「優先順位」をつけます。今回のような感染症の蔓延時にも、災害時とは異なる「トリアージ」はするべきだったと考えます。高齢者や基礎疾患のある方が新型コロナに罹患した場合、人工呼吸器で一時的に助かったとしても、遠くないうちに別の感染源から肺炎で亡くなる可能性が高いので、人工呼吸器の優先順位を下げるべきではなかったのでしょうか。また、長期喫煙で肺気腫COPD)になっている人まで、この非常事態時に人工呼吸器をつけるべきとは私は思えません。

「社会に感染症が蔓延している」→「感染症を抑えるため社会全体を自粛させる」

今回の危機では、この回路しかなかった、少なくともその回路の流れが強すぎたと思います。結果として、経済や社会の損害が軽視されました。本来なら、次の回路もより強く考慮すべきだったのではないでしょうか。

「社会に感染症が蔓延している」→「通常の医療体制は実施できないので、非常時の医療体制で対応する」

この思考回路さえあれば、日本政府が自粛要請まで出す必要はなかったと思います。放っておいても、日本人はよく分からないものを怖がる習性が強いので、経済をここまで停滞させるほどの健康被害は出なかったと推測します。もちろん、盛り場で遊んでばかりいる人は感染症にかかる確率が高く、亡くなった人も今より確実に増えましたが、そこは自己責任で済ませばよかったのではないでしょうか。

なお、自粛しすぎだったとの判断が出るのは、しばらく先か、あるいは永遠に出ないと推測します。今回の新型コロナに限りませんが、新種の感染症は分からないことがいつも多いからです。いまだに感染者数も死者数もよく分かっていないと知って、「だいたいの予想は出るだろう。いつまでそんなことを言っているんだ」と感じている人は少なくないはずです。

おそらく、最終的にはよく分からないまま、「2020年のコロナショックの自粛は妥当だった」あるいは「かりに行き過ぎだったとしても仕方なかった」という結論になると予想します。

生涯未婚時代

「生涯未婚時代」(永田夏来著、イースト新書)はバブル時代から現在までの若者の結婚観の変遷について、IT化などの社会変化だけでなく、同時代の論文、解釈、新語、書籍、流行ドラマ、マンガなども含めて、幅広く考察しています。

私がこちらのブログで何度も主張している「女性が結婚相手へ求める要求、特に年収が現実離れしているため、未婚が増えている」ことは、永田夏来の師である山田昌弘が2008年に「婚活時代」(山田昌弘著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)で既に指摘していることでした。なお、山田昌弘は「パラサイトシングル」、「婚活」の新語を作り出した張本人です。「婚活時代」において、山田昌弘は男女とも共働きを覚悟し、女性は結婚相手に期待する経済水準を引き下げ、男性は経済水準以外の魅力を高める必要がある、と指摘しています。その上で結婚を意識して積極的に出会いを求めることが「婚活」という言葉の本来意味するところでした。しかし、山田昌弘自身認めているように、いつの間にか「婚活」の意味が「高収入の男性を女性が勝ち取る活動」になってしまいました。これでは「婚活」がいくら流行しても、結婚が増えるはずもありません。本質を突いた指摘です。

また、結婚率を上げるためには、男性の収入をあげるよりも、社会保障を充実させるべきだという説も、「日本式長時間労働は年功序列賃金制度により一般化した」で書いた私の案と同じです。

ただし、いくつか強く反論したい点もあります。たとえば、「女が貧乏な男と結婚していれば少子化など解決する」で指摘した「ほとんどの女性は自分より収入の低い男性と結婚しない」はやはりほぼ無視されています。自分より収入の低い男性と結婚する女性は増えている、という統計があるようですが、これだけ働く女性が増えているので、当然です。働く女性の増加割合と比べたら、自分より収入の低い男性と結婚する女性がほとんど増えていない、という問題の根本は考えられていません。著者は意識的に考えていないのではなく、本当に問題だと認識できていないように感じます。

また、「家族はよいもの、と私たちは考えがちです」という言葉も、古臭すぎます。著者は1973年生まれで、1980年代に中高生だったので、ヤンキー全盛期です。両親に反抗するのがかっこいい、両親に頼っているなんて恥ずかしい、とみんな考えて、「家族はよいもの」という価値観なんてカケラもなかったはずです。それより少し後の私の世代でさえ、そうでした。「家族はよいもの」という価値観は全くなくなった時代の後に、再び「それでもこの国では家族に頼らざるを得ない」という価値観が少しずつ復活してきたと思うのですが、著者にとっては「家族はよいもの」という価値観は戦後一貫して続いているようです。日本のエリート社会では、そうだったのでしょうか。

また、最も違和感があるのは次の言葉です。

「『結婚しないという選択肢もある』が真であることは、社会学では論じ尽くされていて、自明なものであると感じる」

「結婚しないという選択肢もある」が無条件で認められていれば、では少子化も認めるのでしょうか。しかし、その社会的負担がほとんど考察されていません。むしろ、かわいそうな生涯未婚者を救うために、社会保障を充実させるべきだ、と主張しているようです。私の「未婚税と少子税と子ども補助金」と全く逆の主張です。

『地方創生大全』でも地方創生はできません」でも書いたとおり、少子化は現在の日本の経済停滞、経済衰退の最大の原因です。だから、たとえ私のように子ども嫌いでも、子育てには莫大な労力と費用がかかろうとも、子育ては義務なのです。子どもがいなければ、社会は成り立ちません。現状のように、子どものいない世帯が、子どものいる世帯よりも、税引き後の可処分所得が大きい不公平は、即刻やめるべきです。最低でもその逆、子どもがいない一般世帯は、子どもがいる一般世帯よりも、明らかに可処分所得が小さくなるように、税金を設定すべきだと思います。

繰り返しますが、第二次ベビーブーマー以降の世代は「家族はよいもの」「子どもはよいもの」との価値観は持っていません。少なくとも私は全く持っていません。そんな人でも、子どもは育てています。当たり前ですが、ある世代の子どもが本当にいなくなれば、その世代が亡くなる前に、医療も介護も食事も移動も、あらゆる社会活動が成り立たなくなるからです。

もし健康であるのに、生涯未婚であることが文句なしで認められたいのなら、その未婚者は医療費や介護保険を全額自己負担にさせられるくらいの覚悟は、最低限、持つべきでしょう。

魚食文化保存のために乱獲規制世論を盛り上げなければいけない

前回までの漁業記事を読んでもらったら、日本漁業がIQ方式(あるいはITQ方式)を導入しない理由が分からないのではないでしょうか。

このブログで何度も書いてきたように、私から見ると「頭がおかしいのではないか」と思うほど、日本人は変化に抵抗しますが、その中でも「乱獲規制を導入しない」例はひどいものです。その改革に反対している勢力は、漁業者たちと、漁業者たちと慣れ合ってきた水産庁です。補助金で儲かっている水産庁はともかく、乱獲規制で利益が増えるはずの漁業者まで、なぜ反対するのでしょうか。漁業者は消費者に質の高い魚を届けたい気持ちはないのでしょうか。

残念ながら、その答えは「漁業者は長期の利益増を理解できない」し、「漁業者は消費者に質の高い魚を獲ることよりも、早獲り競争で勝つことしか考えていない」になります。しかし、これは日本の漁業者に限った話ではありません。「漁業という日本の問題」(勝川俊雄著、NTT出版)によると、漁業先進国であるノルウェーでも、漁業者はIQ方式の導入に猛反対しています。他の国でも、意識が高い漁業者が自発的に漁業改革をした例は見当たらないそうです。

では、漁業規制導入の原動力はなにかというと、国民世論です。非漁業者が乱獲の継続を許さなかったのです。海は漁業者の専有物ではなく、国民全体の共有物だとの認識が社会に浸透していたのです。自然保護団体が政治に強い力を持っていることも、乱獲規制を可能にした理由の一つです。

日本人もノルウェー人同様、大量の魚を食べます。ノルウェーアイスランド以外の欧米の国と比較したら、日本人は何倍も魚を消費しています。そんな日本なのに、なぜ乱獲規制の国民世論が盛り上がらないのでしょうか。

それは乱獲によって漁獲量が減っている、という当たり前の事実を国民が知らないからではないでしょうか。実は、漁業者もその問題を認識していません。下は2010年に農林水産省が漁業者に聞いたアンケート結果です。

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自分たちが犯人だと認めたくないのでとぼけている可能性もありますが、漁業者ですら本当に知らない、と私は推測します。それくらい日本での乱獲の実態は伏せられています。その一方で、マスメディアは「日本人の魚離れ」を嘆く記事を40年前から載せ続けています。「日本漁業の一人負け」の記事に示したように、「日本人が魚離れしているから日本漁業が衰退している」説はデタラメもいいところです。

なお、当初は猛反対していた外国の漁業者たちも、IQ方式やITQ方式を導入して、収入が増えてからは、むしろIQ方式やITQ方式を積極的に支持するようになったそうです。また、一時期は湯水のように垂れ流していたノルウェーの漁業補助金も、現在はほぼ消滅しています。一方、日本では漁業者一人あたり150万円以上もの補助金がつぎ込まれているのに、漁業は先細りです。

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「漁業という日本の問題」の著者である勝川は日本の水産学会に属しています。3000人もいる会員のうち、漁業改革に積極的に関わっているのは自分くらいだ、と嘆いています。専門家ですら、日本漁業維持のために乱獲規制の声をあげないか、あるいは乱獲規制が必要なことを知らないようです。このまま日本漁業が衰退すれば、水産学会の存在意義も小さくなるはずなのに、研究者たちはなぜ行動しないのでしょうか。

勝川は2000年頃から漁業改革に関わっており、当初、乱獲規制の導入はそれほど難しいことではないと考えていました。漁業者にとっても消費者にとっても明らかな利益があり、その上、海外での成功例が山のようにあったからです。しかし、「漁業という日本の問題」が出版された2012年でも有効な乱獲規制はありません。その本が出版されてから8年がたちましたが、未だ水産庁はIQ方式やITQ方式を導入しない理由をHPに堂々と載せています。

こんなメリットしかない漁業改革もできないようなら、日本は終わりです。このブログはマスコミ関係者にも読まれているようなので、ぜひとも記事にして、IQ方式導入の世論を盛り上げてください。それをしないジャーナリストなら、魚介類を食べる資格はない、と私は思います。

ところで、3年前から漁獲枠規制の記事を作りたいと思っていて、今回急に書こうと思ったのは「魚と日本人」(濱田武士著、岩波新書)という本をつい先日読んだからです。著者は魚食文化を守りたい一心で、主に魚の流通面の実態を長文で紹介しているのですが、解決策が提示されていないだけでなく、魚食文化衰退の最大の原因である乱獲について、全く触れられていません。「漁業という日本の問題」が出版された後なのに、なぜそれを無視しているのでしょうか。しかも、amazonの書評では、魚食の本で乱獲を見逃している致命的なミスを誰も指摘していません。著者の多大な労力をかけた(本質を無視した)調査を称賛する人ばかりです。岩波新書を読むくらいの教養人なら、日本漁業の最大の問題が乱獲であることくらい常識にしていると思っていたのですが、私の誤解だったようです。繰り返しになりますが、誰にとってもメリットになるので、この記事を読んだ人は、IQ方式導入の声をあげてください。

デメリットだらけの漁獲枠オリンピック方式

前回までの記事の続きです。

世界ではIQ方式、もしくはITQ方式が一般的です。漁獲枠配分がいまだにオリンピック方式なのは日本くらいです。

IQ方式とは、漁業者あるいは漁船ごとに漁獲量を割り振る制度です。ITQ方式は、その割り振られた漁獲枠を金銭取引きできる制度です。オリンピック方式はヨーイドンで漁業を開始して、全体の漁獲量が漁獲枠に達したら終了する制度です。オリンピック方式は分かりやすいように思うのですが、現在ではIQ方式またはITQ方式がオリンピック方式より漁業の生産性を高めることが明確になっています。

実例を見てみます。カナダの銀ダラ漁業は1981年~1989年までオリンピック方式で管理されていました。

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ここで注目してほしいのは、棒グラフです。年間出漁日数が毎年短縮しています。1981年には245日だったのに、89年にはわずか14日になったのです。早い者勝ちなので、漁業者は解禁と同時に全力で獲ろうとします。全ての漁業者が少しでも早く多くの銀ダラを獲るために、船への設備投資を繰り返して、漁期が10年で10分の1未満まで激減したのです。

結果、漁業が経済的に厳しい状況に追い込まれました。全体の漁獲高が増えるわけでないのに、船への設備投資はかさむので、その分だけ利益は減ります。また、獲った魚の事後処理をゆっくりする暇もありません。急いで処理をして、次の網を入れることになります。魚の扱いは雑になり、質と価格が下落します。

オリンピック方式は、加工業者にとっても不利です。解禁直後に大量の水揚げがあるので、加工業者は加工ラインを増やす必要があります。しかし、そのラインが活用されるのは1年のほんの一時期に過ぎません。船だけでなく加工場の設備投資もムダになります。

消費者にとっても不幸です。漁期が短くなれば、新鮮な魚を食べられるのは1年の一時期だけです。それ以外の時期は、冷凍物しか小売店には並びません。

オリンピック方式で早獲り競争しても、漁業者、加工業者、消費者の誰も得をしません。得をするのは、船のエンジン会社や加工工場整備会社くらいではないでしょうか。

下のグラフはIQ方式導入後の変化です。変更後は1年365日、新鮮な銀ダラが食べられるようになったことが分かります。

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上のグラフで興味深いのは、オリンピック方式の時代、漁獲量が漁獲枠を常に上回っていることです。もちろん、日本のように漁業者や漁業組合が嘘の報告をしたり、政府が取り締まらなかったりするわけではありません。ちゃんと守っているのに、こうなるのです。なぜなら、これまでの漁獲量の推移から漁獲枠に達する24時間前に漁の終了を告知されるのですが、その最後の24時間にこれまでの推移を遥かに上回るほど、全ての漁業者が頑張ってしまうからです。

IQ方式で、各漁業者に漁獲枠を割り振っておけば、漁業者は一匹一匹の魚の質を上げることに専念します。加工場の要望通りに、1年を通して収穫するようになります。

ところで、ディスカバリーチャンネルカニ漁業のドキュメンタリー番組「deadliest catch(ベーリング海の一攫千金)」があり、大ヒットしてシーズン15まで放送されています。シーズン1の2004年はオリンピック方式でカニ漁船が行われた最後の年だったので、ITQ方式に漁業が切り替わる記録映像にもなっているそうです。

そのカニ漁業ですが、下のグラフのようにITQ方式になってから炭素消費量が半分未満になっています。

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オリンピック方式の時代は、常に時間との戦いで、エンジン全開が必須でした。ITQ方式になってからは、漁場に急ぐ必要がなくなったので、漁期が12倍に伸びたにもかかわらず、ガソリンの量もエネルギー効率も劇的に改善したのです。オリンピック方式は、地球環境の面でも悪いことが分かります。

水産庁は税金を使って漁業崩壊を促進する公的機関である

1997年から、ようやく日本でもTAC(総漁獲枠)制度が導入されました。日本の魚種別漁獲量の下のグラフで、薄いグレーの魚種でTAC制度が導入されています。

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日本で大量に獲れる魚種のほとんどはTAC制度が導入されているのです。それにもかかわらず、どうして乱獲で漁獲量が減っているのでしょうか。理由は次の二つにあります。

1、科学を無視した漁獲枠の設定

2、漁獲枠を守っていない

どちらも本当に情けない理由なのですが、一つずつ検討していきます。

1、科学を無視した漁獲枠の設定

一般にTACは、科学者が資源の持続性の観点から乱獲の閾値(OFL)を求め、生物学的許容漁獲量(ABC)を提言し、総漁獲枠(TAC)を決めます。必然的に、OFL≧ABC≧TACとなるわけですが、日本はOFLを求めていない上、ABC<TACという理論的に矛盾する設定までしています。

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「漁業という日本の問題」(勝川俊雄著、NTT出版)には、水産庁が2001年から2002年にマイワシでTAC>資源量(>OFL)という、あり得ない設定までした前科が載っています。

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資源量、つまり海にいると推定されている全てのマイワシの総量以上に、総漁獲枠を設定しているのです。もしあなたがお金のつかみ取り競争に参加して、「この箱の中には全部で26万円入っている。次の人も遊んでもらうために、最大でも取れる量は34万円までにする」と言われたら、その矛盾が気にならないでしょうか。

漁獲枠は漁業有識者が集まる水産政策審議会で決まります。その委員の多くは、漁業団体に天下った水産庁のOB連中だそうです。会議自体は非公開ですが、後日、議事録は公開されます。上記の本の著者は、この意味不明な漁獲枠の設定を決めた議事録を調べてみたら、水産業の中尾管理課長は2002年のマイワシ漁獲量は「過去最低のTAC」で、「対前年比1割減」と、まるで「これでも少ない」かのような発言をしていたようです。資源量以上に漁獲枠を設定している根本的な間違いは、委員の誰も指摘しませんでした。こんな人たちが日本の「漁業有識者」なのでしょうか。

2、漁獲枠を守っていない

水産庁は漁獲枠をまともに設定していないだけでなく、せっかく税金を使って設定した漁獲枠を守らせる気もありません。日本の漁獲統計は、漁業組合の報告を集計するだけです。実際の水揚げと報告内容が一致しているかを誰も確認していません。その気になれば、いくらでも不正は可能です。

日本の漁獲統計の不正確さが顕在化したのは、2005年のみなみまぐろ保存委員会の年次会合です。オーストラリアは日本の市場調査で、TACを大幅に越えるミナミマグロが流通している可能性を指摘しました。

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明らかに過剰なミナミマグロの流通量は、どこから来たのでしょうか。日本政府が調査しなかったので確実な証拠はありませんが、輸入魚は必ず税関で数量を確認するので、日本漁船による不正漁獲によるものでしょう。

さらに、2007年8月にはサバ類の漁獲高が漁獲枠を超過しましたが、水産庁は漁業者に自主的な漁獲枠停止を要請したのみでした。なんと取り締まりをしなかったのです。その結果、最終的な2007年のサバ漁獲量は漁獲枠を6万トンも超過しました。漁獲のほとんどがサバなのに「アジなど」「混じり」という名前で報告する例もあったようで、上記の著者は「実際の漁獲高は6万トンでは済まないだろう」と書いています。

またもやですが、2008年にはマイワシの漁獲枠が2倍近くも破られてしまいました。しかし、なんらペナルティはありませんでした。漁獲枠を無視して、獲った者勝ちです。漁獲枠を遵守した正直者だけがバカを見ます。

漁獲枠の不正を未然に防ぐには、水揚げ、競り、小売りなど、複数の段階で魚の流れを記録して、それらをつきあわせる必要があります。また、違反には厳罰で対処しなければいけません。

ここまでで日本のTAC制度が無意味であることを十分示せたと思いますが、まだ欠点があります。それはTAC制度がオリンピック方式を採用していることです。オリンピック方式は世界の多くの国で失敗しているのですが、その理由を次の記事で説明します。