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未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

西洋式討論術

日本と西洋の教育で大きく違うところはいろいろありますが、ここでは討論に注目します。日本の学校では討論なんてほとんど行いませんが、西洋の学校では毎日討論しているみたいです。また、次の記事で取り上げるように、日本での討論は、政治家の討論を含めて、まともな討論になっていない場合が少なくありません。西洋で討論術を教えているのかどうかまで私は知らないのですが、西洋人は極めて論理的に討論をします。私は西洋人から直接教わったことはないのですが、主にカナダ人との500回以上の討論を通じて、彼らが概ね従っている討論術があると分かってきました。以下に、私の知った彼らの討論術の流れを述べます。

 

1、Aという意見を述べる。

このAは意見であり、事実であってはいけません。例えば、「地球は丸い」「私は25才である」「日本は議員内閣制である」などは事実なので、議論になりません。ただ、Aは意見でさえあれば、極論すれば、なんでも構いません。「地球は四角である」「私を18才と考えるべきだ」「日本は無政府になっていい」などは意見となりえます。

 

2、Aを真と考える理由を聞く

いきなり「Aは間違っている」と否定することは、通常、ありません。さらに「いや、私はBだと思う」と別の意見を述べることも許されません。まず、Aと考える理由を聞きます。

 

3、Aの根拠となる事実Cを述べていく

Aを主張した者は、Aの根拠となる事実Cを述べます。ここで、Cは意見であってはいけません。意見は真偽が決められない、という前提があるからです。真偽の決めらないもの(意見)の根拠が、真偽の決められないもの(意見)であってはいけません。たとえば、「日本は無政府になっていい」の根拠が、「日本ではどの時代の政府も存在すべきでなかったから」という意見だと、議論が成り立ちません。もしどうしても、その意見を根拠にしたいのなら、「日本ではどの時代の政府も存在すべきでなかったから」が真である根拠をさらに示さないといけません(たとえば、「どの時代の日本政府の統治にも欠点が見つけられるから」など)。

 

4、事実Cを検証する、あるいは、「CならばA」が成り立たないことを示す

Aの根拠としてCが挙げられたわけなので、Cが本当に事実かどうか検証します。もしCが事実でないとしたら、根拠が間違っているわけですから、必然的に、Aも間違っていることになります。

また、Cが事実だとしても、「CならばA」と言い切れるのでしょうか。そうでない場合があれば、必ずしもCはAの根拠になりません。その論理の矛盾を示します。

 

この基本的な流れを西洋人は概ね、踏襲していました。もちろん、ここからいろいろ派生はします。例えば、

3a、事実Cが真で、「CならばA」が成り立つと考えるなら、Aの根拠となる他の事実Dがないか聞く→4に続く

3b、事実Cが真で、「CならばA」が成り立つと考えるなら、Aが偽である根拠となる事実Eを提示する(「Eが真ならばAでない」が成り立つ)→今度はAを主張した者が、事実Eを検証する、あるいは、「EならばAでない」が成り立たないことを示す

などです。

この討論術を元に、次の記事に、日本人がよくする討論の失敗について書いておきます。

日本人が開明思想を持っていれば幕末・維新の悲劇は少なかったはずである

幕末の動乱は不可避だったのか」で書いた結論とほぼ同じですが、別の視点から考えます。日本人の多くが開明思想を持っていれば、アメリカと不平等条約を結ぶことはなかったでしょう。また、かりに結んだとしても、維新期の最初に、つまり岩倉使節団派遣の頃に、日本の法体系を西洋列強並みに整備して、民主選挙を実施して(当然、このために日本人に開明思想を大規模に普及しなければなりませんが)、不平等条約も改正できたはずです。

極論すれば、たとえ日本がアメリカと戦争して植民地化されたとしても、日本人全員が開明思想を持っていれば、怖くなかったはずです。アメリカもそんな日本に圧政を敷かなかったでしょうし、かりに圧政を敷いたなら日本人たちが反乱を起こして、すぐに独立を達成したでしょう。

幕末・維新の改革の最重要項目、あるいは最終目標は、日本人に開明思想を身に着けさせることにあった、と私は考えています。そのためには、経済を発展しないといけない、交通・通信インフラを整えないといけない、公衆衛生を発展させなければいけない、などとなるわけですが、最重要項目は国民の啓蒙にあったと考えています。日本人全員が高い教養と道徳観を持っていれば、あらゆる近代化と経済発展が円滑に進んだと考えるからです。

そして、それは現在でも変わらない、と私は信じています。

岩倉外交が不平等条約を改正できなかった理由

岩倉使節団不平等条約改正を達成できなかったのは、その目的意識が薄かったことにあります。留守政府も岩倉使節団不平等条約を改正する意志が強くなかったのです。より正確にいえば、強かった者もいたようですが、改正など不可能と諦めている連中に負けています。

現在から振り返ってみれば、明らかに、この派遣時は不平等条約改正の絶好の機会です。そのことに気づいていた者も政府首脳に間違いなくいました。いたからこそ、当時から現在まで、岩倉使節団の目的といえば不平等条約改正が入っています。しかし、失敗したのです。

その理由は「なぜ岩倉使節団は不平等条約を改正できなかったのか 」でも書きましたが、アメリカに一杯食わされたからです。そして、またもアメリカに騙されたのは、ドイツ公使の説得に流されたからです。また、それと比較すれば小さいですが、まだ理由があります。アメリカに留学していた日本人(岩倉の息子など)が岩倉使節団の人たちに「日本は遅れた国なので、不平等条約改正など時期尚早だ」といった内容を吹き込んだからです。

岩倉具視を筆頭に、この使節団の日本人は国際的にとても通用しない考え方をする者ばかりでした。一方、国際的に通用する考えをする日本人は、本人は無意識かもしれませんが、必要以上に西洋びいきです。厳密にいえば、同じ人物が「国内でしか通用しない考え方」と「国際的で西洋寄りの考え方」を直線で結んで、その間を行き来していたようです。つまり、この当時、国際的に通用する理屈を駆使して、日本の利益になる交渉をできる政治家がいなかったのです。国内でのみ通用する政治家が大部分で、一部の国際政治家は西洋排外主義に洗脳されている状況は、現代日本にまで連綿と続いている伝統ではないでしょうか。

なぜ岩倉使節団は不平等条約を改正できなかったのか」で、岩倉外交を弱腰と断定したのは、やはり大久保と伊藤が全権委任状を取りに帰国したことに最大の要因がありますが、他にもフィッシュ国務長官に言うべきことを言っていません。「アメリカの岩倉使節団(宮永孝著、ちくまライブラリー)」によると、フィッシュが「大統領が調印した全ての条約は上院議員の三分の二以上の同意がなければ効力を持ちません」と言っているのに対して、岩倉は「存じております」と返しています。しかし、ここは「それは困ります。大統領の調印だけで、条約は効力を持つ絶対的な保証がほしいです。せっかく調印した条約が無効になっては、日本国政府首脳が莫大な国費を使ってアメリカまで来た意味がありません。だいたい、ペリー氏もハリス氏も条約交渉時に、江戸幕府が京都の朝廷の同意を得たい、と言うと、『だったら京都に行って、朝廷と直接交渉するまでだ』と日本式手順を無視しようと脅したのではないですか?」と言い返すべきところでしょう。

アメリカは不平等条約の締結を目的としていなかった

上記タイトルは、幕末外交について私が最も主張したいことで、事実であれば、幕末・明治の歴史家や外交研究者はもっと注目すべきであり、場合によっては、教科書に記載してもいいと思います。

「日本開国史(石川孝著、吉川弘文館)」によると、ペリーが日本に来た目的、あるいは、国務長官代理がペリーに与えていた任務は以下の三つです。

1、事故で日本に辿り着いたアメリカ船員の生命と財産を保護させること

2、食料・薪水の補給などのため、アメリカ船舶が日本の一港以上に入ることの許可

3、港での交易の許可

交易の許可が船員の救済や船舶の寄港以上に優先事項が高かったのは、「幕末の稚拙な外交政策から日本は教訓を得ているのか」にも書いた通り、アメリカは日本との交易よりも中国との交易と捕鯨を重視していたからです。

今回、注目したいのは、というより、日本国家としてそれ以上に注目すべきなのは、日本と条約を結ぶ時は治外法権を認めさせ、関税自主権を取り上げるような指示をペリーは受けていないことです。「日米和親条約にある不平等条項」の記事にも書いたように、ペリーが獲得した不平等条約の片務的最恵国待遇は、下級役人が与えてしまっています。

不平等条約のうち、領事裁判権については「ハリスを好きになったバカな日本人」に書いたように、日米修好通商条約の締結以前に認められてしまっています。

ハリスがアメリカ合衆国から公的にどのような任務を与えられていたのか、私は調べられていません。上記の本や私がその他の文献で調べた限りでは、ハリスは日本と通商を結ぶことを任務としており、関税自主権の放棄を日本に要求することまでは任務に入っていないようです。かりに、そんな不平等条約の締結任務までハリスが負っていたとしても、日本側がその条件の理不尽さを指摘すれば、ハリスは無理を押してまで、その条件にこだわらなかったと確信します。

もっと大局的な視野で考えます。アメリカに限らず、当時の西洋列強の国家は、日本と交易はしたかったものの、不平等条約まで結ぶつもりはなかったはずです。もちろん、日本に不利な不平等条約を締結できれば、西洋列強にとって大きな利益になるので、簡単に認めさせられるものなら、認めさせたかったでしょう。事実、ペリーやハリスも、日本人の無知につけ込んで、不平等条約を結んでいます。しかし、不平等条約を結ぶためには日本と戦争しないといけない、となると、どの西洋列強国家も交易(対等な通商条約)だけでとりあえずは納得した、と今の私は推定しています。

もしこの仮説が正しければ(アメリカの公文書を調べれば真偽は簡単に調べられるはずです)、幕末を扱った多くの歴史書に「日本は対等な通商条約だけ結ぶことも可能であったが、西洋列強国家が本来目的としていなかった不平等条約まで、日本側の無知により結んでしまった」と記述してほしいです。この視点のあるなしで、幕末から明治にかけての日本外交の考え方は大きく変わってくるはずです。なお、「なぜ岩倉使節団は不平等条約を改正できなかったのか」の記事は、この視点から考察しています。

西洋人は政治や宗教の話が大好きである

「政治や宗教の話をしてはいけない」という忠告があります。カナダでは、日本以上にその言葉をよく聞いたように思います。実態は、カナダ人は政治や宗教の話が大好きでした。カナダ人に限らず、私の知り合いで教養のある西洋人は、政治や宗教の話ばかりしています。

ところで、なぜ政治や宗教の話をしてはいけないのか、知っているでしょうか? 日本では政治や宗教の話をあまりにしないため、なぜしてはいけないのか、理由がすぐに浮かばない日本人すらいます(私は何度もそんな日本人に会っています)。

その答えは、もちろん、言い争いになりやすいからです。政治や宗教は、人の大切な価値観に関わる問題なので、わずかな違いでも大きな対立を生みやすいのです。だから、政治や宗教に限らず、道徳、家族、性などの繊細な話題は、心の琴線に触れるので注意すべきです。

ただし一方で、政治や宗教などは、人が生きる上で極めて重要な問題でもあります。だから、より多くの人の意見を聞き、視野を広げるべきでもあるのです。また、その人にとって重要な問題ほど、その人の内面が分かるので、より話し合うべきだ、という考え方もあるでしょう。

なにごとも争いを避けがちな日本人は政治や宗教の話題には触れませんが、人として根源的に大切なものを重視する西洋人は政治や宗教の話題をよく持ち出すようです。

ただし、これは国民性の違いだけでなく、政治システムや教育にも原因があるでしょう。日本だと政治家よりも官僚が権力を持っており、選挙によって政治があまり変わりませんし、日本人の多くは無宗教です。だから、話題にするもなにも、そもそも日本人は政治や宗教に関心がないのです。また、日本の教育は政治や宗教を議論する能力を育てていません。それについては、これからの記事に書くつもりです。

西洋における人権の尊重

カナダにいて最も驚いたことの一つに、自由や平等といった基本的人権が非常に尊重されていることがあります。「国家権力に対して個人の力は小さいので、憲法が個人に与えた力が基本的人権だ」という説を、日本の法学教養本で読んだ記憶があるのですが、私の知る限り、西洋だとそれだけでなく、日常生活にも根付いています。法人と個人、団体と個人、個人と個人の間でも、基本的人権は尊重されます。

たとえば、20代女性の英語教師がカンバセーションクラブで、「私の祖母の世代では女性の参政権は認められていなかった。女性には政治を考える能力がないと判断されていたのだ。我々はこの権利を守っていかなければならない」などと語り出したりします。議論のテーマが女性参政権でないのに、銃規制だったり、安楽死だったりするのに、なぜかそんな話になっているのです。しかも、そのカナダ人女性はインテリではありません。高卒で、タレント志望だったりするのです。インテリのカナダ人なら、さらに深い人権の話が出てきます。私は30年以上日本に住んでいますが、女性参政権の起源について突然語り出す日本人女性に会ったことがありません。もしそんな女性がいたら、日本だとドン引きされるに違いないでしょう。

また、私は語学学校で、クラスの中心に一人で立たされて、先生とこんな対話をした経験があります。

先生「キミはこの学校が好きか?」

私はその語学学校を辞めて、カンバセーションクラブに行きたかったので、どちらかと言えば、嫌いでした。しかし、「嫌い」と答えるのは失礼ですし、その理由を言うのも嫌だったので、こう答えました。

私「I don’t know.(知らない)」

先生はムッとした表情でこう告げます。

先生「この教室では、私の質問に答えるのがルールだ。最初に言っただろう」

日本でもそうですが、先生の質問に生徒がまともに答えないと、先生は怒ります。「『西洋人はyesとnoをはっきりさせる』はウソである」の記事とやや矛盾しますが、西洋だと日本よりも遥かに「発言なし」は許されません。質問に明確に答える必要があります。

とはいえ、西洋人だとか日本人だとかいう以前に、私も先生も同じ人間です。人間なら、「知らない」はしばしば「答えたくない」という意味で、つまり「この学校嫌いだけど、そんな失礼なこと言いたくない」であることくらい、ある程度は察しているはずです。そんな感覚は世界共通だからです。その事情を説明してもいいのですが、その時の私は西洋流に人権尊重の原則を用いて、反論しました。

私「カナダは民主主義国家ではないのですか? 民主主義国家なら、私には全ての質問に答えなくてもいい権利があるはずです」

発言を促すと普通、生徒は萎縮するものですが、その反対に生徒が堂々と反論したことで、先生は一瞬呆気にとられましたが、すぐに笑って

先生「なるほど。確かに、カナダは民主主義国家だ。キミの言う通り、キミには答えたくない質問に答えなくていい権利がある」

と言い、教室のルールより私の権利を優先して認めてくれました。

もちろん、こんな主張がいつも通るわけではありません。ただし、日本だと「ルール」が問答無用で優先されるのに対して、カナダでは「ルール」よりも個人の権利(主張)が優先される場合が何度もありました。

これを「西洋では、なんでも自己主張すべきだ」と考えている日本人がいますが、それは正しくありません(と私は思います)。確かに、西洋では日本の比ではないくらい自己主張が重要なのですが、「なんでも」自己主張すればいいわけではありません。公共の福祉に反しない限りで、他人の基本的人権を必要以上に侵害しない程度に、自分の基本的人権を主張すべきなのです。

こうなると、結局、カナダも日本とあまり変わらないような気がするかもしれません。事実、そう言っていた日本人もカナダで会いました。私も、好ましい社会の在り方なんて、究極的に日本とカナダでそれほど違いはない、と考えています。ただし、カナダの方が日本より理想社会に近づいている、とも思いました。その一つの根拠が上記のように、お互いの主張が対立した時、(教養の高い)カナダ人は頭のどこかに基本的人権という着眼点が常にあると感じたことです。

西洋人はなにごとも根本的な視点から考える傾向があるようです。「ground rules」の記事で、私は西洋のground rules作りを「子供だまし」と批判しましたが、見方を変えれば、ground rules作りも西洋人の「根本的な視点から考える傾向」の一つの現れだと思います。なお、その記事では明確に書いていませんが、私がground rules作りをしたのは、いつも多国籍の人たちとで、西洋人グループでground rules作りをしたことは一度もありません。

「西洋人はyesとnoをはっきりさせる」はウソである

北米もヨーロッパも、日本と比べると多民族多文化国家であり、お互いに察することができないため、自分の意見をはっきり伝える必要があります。ただし、「あんたなんか嫌い」「あなたは間違っている」「なに言っているか分からない」なんて言えば、相手の感情を害することは間違いありません。相手への批判は「すまなさそうに言う」または「ぼかして言う」ことは世界共通の礼儀です。もしそれができていない西洋人がいたら「失礼な奴だ」あるいは「なめられている」と思っていいです。

西洋人は「yes」と「no」をはっきりさせる、というのも日本によくある誤解です。私に言わせれば、むしろ正反対です。教養の高い西洋人ほど、世の中には断定できないことが多いと知っているので、「I think」「maybe」「could be」などの表現を多用します。もしそうでない西洋人がいたら「教養のない奴」か「こちらが見下されている」と思っていいでしょう。

私の経験からいえば、日本人の方が西洋人より遥かに断定口調が多いです。特に、マスコミに出てくる日本のエリート連中です。日本人は「なにを言っているか」ではなく、「誰が言っているか」で発言の良し悪しを判断しがちだからでしょう。この傾向に関しては、「メラビアンの法則」の記事で掘り下げるつもりです。

教養の高い西洋人が断定口調になるときは、断定できないことを断定している奴と話すときです。たとえば、「中国人ってマナー悪いよね」と言ったとしたら、日本人なら「そうだよね」と返す可能性が高いかもしれませが、人種差別発言に敏感なカナダ人なら、まず「中国人だってマナーがいい人もいますよ」と言い返してくるでしょう。また、西洋で「マリファナを吸う人は刑務所に入れるべきだと私は思う」と言えば、「どうしてそう思うの?」と返してくるでしょうが、「マリファナを吸う人は例外なく刑務所に入れるべきだ」と断定口調が強くなると、「それは間違っている」と断定口調で返される可能性は高いでしょう。

なお、私がカナダでうっかり断定口調してしまった経験を「カナダ人は怠け者だ」(http://readingfuture.blog.fc2.com/blog-entry-28.html)の記事に書いています。

カナダ人の寛容性と生産性の相関関係

私がバンクーバーに住んでいた時、市長選挙では麻薬中毒者対策がいつも争点になると知りました。選挙戦では「どうやって麻薬中毒者を取り締まるか」と論ずる候補者はいなくて、どの候補者も「どうやって麻薬中毒者を救うか」と論じています。カナダ人にとって、麻薬中毒者は犯罪者というよりも社会が生み出した被害者でした。私たちと同じ人間をあのような可哀そうな状況に追いやったのは私たち全員の責任だとの共通認識があったのです。

帰国後、悪臭を放つホームレスを東京の図書館からどう排除すべきか、という記事を読みました。同じ記事の中に、カナダのエドモントン図書館は自らの費用でホームレスに医療保障や住居の紹介、雇用相談、自殺防止のサービスを年間6千回行っていると紹介されています。日本で排除される者がカナダでは救われているのです。

このカナダ人の寛容性の高さに私は感心せずにはいられません。だからこそ、カナダでは多様な背景を持つ者が生活できているのでしょう。麻薬中毒者やホームレスでさえ社会復帰させて受け入れようと考える人たちです。当然、英語の下手な人、変な見た目の人、行儀作法の悪い人なら、もっと社会で受け入れられています。日本では職場から弾き出される人でも働く場を与えられているのです。

この観点からすれば、カナダ人は日本人より怠け者に見えるのに、カナダ人の生産性が日本人より高いのは納得できるところも出てきます。カナダでは怠け者ですら就業の機会を得て、給与を受け取っているのです。働き者ならそれを上回る給与をもらっているため、全体としてカナダ人の生産性が高いのでしょう。

もちろん、これだけで日本とカナダの生産性の差の説明がつくわけがありませんが、一つの要因だと私は感じました。

国家の富は国民の道徳と教養によって決まる

私がカナダに長期留学していて、いつも疑問に感じていることがありました。

「カナダ人はこんなに怠け者なのに、なぜ日本人より一人当たりGDPが大きいのだろう?」

また、中国に住んでいた頃に、こんな疑問を感じていました。

「上海は東京並みに商品が豊富にあるのに、なぜ日本より一人当たりのGDPが小さいのだろう?」

この答えは複雑すぎて、単純に出すことができないことは分かっています。それでも私は多くの外国人との交流から、次のような傾向があると考えるようになりました。

「国家の経済的豊かさは、その国民の道徳と教養の水準にほぼ比例する」

サウジアラビアのような資源国家もあるので、例外はあります。

上記の信念を持つようになった理由を、このブログやこちらのブログで記事に書いていくつもりです。

人間は無意識に自分の過去を肯定する

徴兵制は国民に戦争への肯定感を与えるので反対だ」

私が友人のユダヤ人に言った言葉です。その意見に、徴兵制のあるイスラエル出身の彼が反対しました。

徴兵制は国民を戦争嫌いにさせる要素もある。徴兵を楽しみにしている奴なんて、まずいなかった。終わってからも、忌まわしい記憶みたいに口を閉じる奴も多い」

私は覚悟を決めて、彼に反論しました。

「率直に言って、その考えはほとんど間違っていると思う。キミが僕と比べて戦争に肯定的なのは、徴兵経験が影響していると確信している。怖いのは、キミでさえ、徴兵が与える影響に無意識であることだ」

いつになく真剣な私の言葉に彼は腕を組み、上を向いて、しばらく考えていました。

西洋先進国の私の多くの友だちや知人同様、日本人にしては革新的と言われる私から見ても、彼は極めて革新的に思えました。彼は理想主義で、私の現実主義と衝突するのが、通常の会話パターンでした。

しかし、平和についての考え方だけは、彼は私よりも保守的でした。当初は、イスラエルユダヤとアラブの衝突が繰り返されているためと思っていましたが、どうもそれは大した影響を与えていないと分かってきました。彼の出身地では、アラブとユダヤ武力衝突など、彼が生きている間には起こっていないに等しいです。「それよりも交通事故の方がずっと多い」と彼は言っていました。「自爆テロで死ぬ人よりも、普通の犯罪で死ぬ人が多いのに、なんで自爆テロだけ大きなニュースにするのか」という愚痴もよく言っていました。

しかし、「お互いに武装解除して、暴力ではなく話し合いで解決すべきだと思う」という私の意見に、彼は非現実的と反対していました。その他にも、戦争に関する時事問題では、ほぼ常に、彼は私よりタカ派でした。大抵、彼は私より理想主義であったのと対照的だったので、その理由を私はずっと考えていて、そのうち、彼との対話、および私の人生経験から、彼が戦争を肯定しているのは徴兵経験にあると確信して、上のような発言になったのです。

彼が考えている間に、私が補足しました。

「人間は自分の過去を無意識のうちに美化してしまう。その方が楽に生きられるからだろう」

「それには同意する」

「キミから徴兵時代の愚痴を聞いた記憶がほとんどない」

彼は笑ってうなずき、こう返答しました。

「そう言えば、徴兵前に嫌がっていた奴らも、終わったら、いい経験だった、と言う奴が多かったように思うな」

人間は自分の過去を自動的に正当化してしまいます。その考えを私は20才くらいの頃から強く意識するようになりました。よほど意識しないと、流されていることに気づかないからです。もちろん、流されて好ましい場合だってあるでしょうが、そうでない場合もあります。

当たり前のことですが、その危険性に気づいていない人が多いように思うので、あえて、ここに書いておきます。

日本で革新的でも西洋では保守的である

日本史をある程度勉強した方なら、天皇機関説を唱えた美濃部達吉は知っているでしょう。どの日本の文献で調べてもらっても、美濃部は非常にリベラルな人物、場合によっては急進的と評してもいい人物として記述されていると推測します。だから、アメリカでピュリッツァー賞を受賞した「敗北を抱きしめて」(ジョン・ダワー著、岩波書店)に、美濃部が松本憲法調査委員会のメンバーとして「明治憲法の改正の必要はない」と熱意を込めて語った、と書かれていることには驚きました。

また、日本国憲法戦争放棄の条項は、幣原喜重郎が主張した、というのが日本では通説です。既に売ってしまったのですが、「歴代総理の通信簿」(八幡和郎著、PHP新書)で幣原内閣を最高評価にしている理由は、憲法の平和条項の制定にあった、と記憶しています。しかし、上記の「敗北を抱きしめて」では、「幣原は後年、自分こそがマッカーサー元帥に戦争放棄の理想を最初に語ったのだ、と自負心を持って主張するようになった。これは十中八九、たんに年老いた男の思い違いの回想であろう」と断じています。

私は原典を調べてなどいないので、本当のところは分かりません(原典を調べても、本当のところは分からないとは推測します)。ただし、日本で革新的と思われる人でも、西洋の価値観では保守的と思われることは、今でも続いていると、私の海外経験から断言します。ましてアメリカと日本の民主段階に極端の差があった第二次世界大戦直後なら、日本では急進的と思われる人が、アメリカで極めて保守的なマッカーサーの観点からも保守的に映った、ということは十分ありえるでしょう。

「a boy of twelveの国から脱却できたのか 」(http://future-reading.hatenablog.com/entry/2017/02/17/)の記事で、人格破綻者で保守派のマッカーサーが、どうして20世紀日本で最大の民主化を実現できたのか、と問題提起しましたが、その答えの一つ要因に「西洋と比較した場合の日本の際立った保守性」は挙げられるべきだと確信します。

私が日本の最も嫌いなところ

私の人間観の一番の柱は「人間は皆同じ」です。これは私が22才の頃に到達した概念で、それ以降、どんな国のどんな人に会っても、この概念が間違っていると思ったことはありません。

聖人も犯罪者も、大金持ちも浮浪者も、大学教授も知的障碍者も、人間は本来、どんなものにでもなりえる、という考え方です。たまたま、その「人」として生まれてしまえば、そんな環境を与えられてしまえば、その「人」として育つが、それはその「人」が決めたわけではない、という当たり前のことです。

20才くらいの頃、私が最も嫌だったのは、凶悪犯罪が起こったとき、弁護士が「これまでの判例でいえば〇〇容疑者は無期懲役ですけど、個人的には、こんな凶悪犯は死刑にするべきだと思っています」とテレビで言っているのを観ることでした。

私はこれが本当に信じられませんでした。「この犯罪者が自分だったら」という考えはないのでしょうか? どうしてそんな凶悪犯罪が起こったのか、考えられないのでしょうか? 周りの者が止められなかったのでしょうか? どうやって育ったのでしょうか? 社会はどうしていたのでしょうか? こんな凶悪犯罪を起こしてしまった社会の構成員の一人としての反省はないのでしょうか? 弁護士という社会正義を守るべき立場にある自分は一般人よりも責任が遥かに重いことを分かっていないのでしょうか? こんな弁護士のこんな道徳観のない発言をどうしてマスコミは普通にテレビに流しているのでしょうか? テレビを観ている何百万人もの日本人は「コイツみたいな道徳観のない弁護士がいるからこそ、凶悪犯罪が起こるんだよ!」と激怒して、この弁護士を非難したりしないのでしょうか?

私はニュースのこんな映像を観るのが嫌で、それが一番の理由で、テレビを持つのを止めました。

それから10年以上たつので、今でもそんなことをテレビで公言する弁護士が日本にいるのかどうか、そんな弁護士のそんな発言を平気でテレビに流しているのか、私は知りません。なくなっていることを願っています。

ソマリランドでの新しい政治制度

「謎の独立国家ソマリランド」(高野秀行著、本の雑誌社)に、国連にも認められていないソマリランドで実施されている珍しい政治制度が書かれていました。「政党を三つに限る」という制度です。ソマリランドは氏族社会であるため、政党の数を限らないと分家の分家の分家くらいのレベルで人々が政党を作って混乱しますが、三つしかなければ氏族間で協力する必要が出てくるのだそうです。

この三つの政党は、議員選挙とは別に行われる、ソマリランド全土の選挙で決まります。興味深いのは、ソマリランドを六つの選挙区に分け、うち四つ以上の選挙区で20%以上の得票率を得ることが必要条件であることです。氏族は特定のエリア(選挙区)に固まっています。この必要条件により、特定の氏族だけを優先する政党は排除される仕組みです。この政党選挙は10年に一度だけ実施され、ここまで労力をかけているだけあり、立候補する者は三つの政党どれかに所属しなければなりません。日本のように「無所属」は許されません。

日本と地理も文化も歴史も大きく異なる国の制度なので、この政治制度をそのまま日本に導入するのは難しいでしょうし、実際に導入してもうまくいく保証はありません。ただ、日本の政治がうまく機能しない今、このような制度もありうると、参考にはなるはずです。

日本は1990年代に衆議院選挙制度を改革して、政治にある程度の変化はあったのですが、それによって日本の政治が劇的によくなったとは思いません(ただし、同時期に実施された政治資金の関連改革は一定の効果があったと思っています)。そうであるなら、その反省を活かして、より有効な改革を行うべきなのですが、もう政治改革をしても無駄と思う人が増えたのか、強い指導者(あるいは独裁者)を求める声が出てきていたりします。しかし、独裁政治は民主政治の対義語に近いので、そこまで極端な方法を求めるのは適切でないでしょう。もう一度選挙制度を変えてみる、あるいは、ソマリランドのような政治制度を検討してみるなど、他の民主制度を求めるべきだと私は考えています。

憲法改正が必要になるので極論になりますが、現在の議員内閣制が日本に常に最適であるとは限りません。ソマリランドで上のような政治制度を導入したのは遊牧民族で氏族社会など、いろいろな歴史や社会背景があったからです。同様に、現状の日本を政治、経済、歴史、文化、教育などあらゆる角度から検討して、日本にふさわしい理想の政治制度を考慮してみても悪くはないでしょう。

なぜ岩倉使節団は不平等条約を改正できなかったのか

日米修好通商条約不平等条約であることは、遅くとも大政奉還が行われた1867年には日本でも周知の事実でした。この頃には、国際貿易や国際法に無知により、日本がアメリカにまんまと騙されたことに気づいていたのです。

不平等条約を結んだ政権を倒して、新しい政治体制になった日本が不平等条約改正を目指すのは当然の成り行きです。1871年からの岩倉使節団はそれを目標の一つとしていました。

「あなたたちは私たちの無知につけこんで騙したんだ!」

「こちらが理不尽に不利だと分かった約束をいつまでも守るつもりはない!」

「この条約はバカな前政府が結んだものだ! 現政府はこんな条約を認めるつもりはない! 新しい対等な条約を結びたい! それが無理なら戦争も辞さない!」

アメリカの不誠実さはいくらでも指摘できたでしょうし、こちらの正当性はいくらでも主張できました。日本政府首脳がここまで多人数集まって外国で交渉するなど、日本の歴史上、その前にもその後にもありません。どう考えても、不平等条約改正の絶好の機会です。

しかし現実は、最初の訪問国のアメリカで、上辺だけは親切なフィッシュ国務長官に、日本はまたも一杯食わされてしまうのです。なんと、本格的な外交交渉に入る以前に、フィッシュが使節団の全権委任状を不適切とケチをつけてきたのです。

「全権委任状が不適切もなにも、私たちが日本政府の全権だ! まともに交渉しろ!」

使節団にはそんな意見を持つ者も多かったようですが、結局、大久保利通伊藤博文がすごすごと日本に全権委任状をとりに帰国し、その間、4か月も無駄にしました。アメリカの時間稼ぎ作戦に情けないほど簡単にひっかかったのです。そして、大久保や伊藤が全権委任状を取ってくるよりも前に、ドイツのブラント公使に「(不平等条約の交換条件として)アメリカに特別な優遇措置を認めたら、最恵国待遇条項から、他の西洋列強にも自動的にそれが認められてしまう」と忠告されると、使節団はあっさり不平等条約改正を諦めます。以後、使節団は多くの西洋列強諸国を訪れますが、不平等条約改正交渉はまともに行われていないようです。この千載一遇の機会を逃したのです。

どうしてドイツの公使に「そんなこと言っていたら、不平等条約など改正できない! アメリカだけでなく、当然、全ての西洋列強諸国とも不平等条約を改正するつもりだ! 西洋列強が条約の不条理を認めないのなら、戦争になっても構わない!」と言い返さなかったのでしょうか。

それは、西洋列強から近代文明を導入する必要があったからでしょう。「不平等条項のみ改正して、交易だけしたいなど認めない。不平等条約を改正したいのなら、こちらからの技術者や学者の日本派遣も中止する」と言われると、日本の近代化をなによりも推進したい明治政府としては困ったからでしょう。

それでも! そういった要素を全て考慮しても、岩倉使節団の外交は弱腰でした。特に、全権委任状にケチをつけて、4ヶ月間も日本政府首脳を足止めさせるなど、バカにするにもほどがあります! 「いいかげんにしろ! 俺たちがワシントンに留まるだけでも、日本国民の血税がどれだけ消費されているのか分かっているのか! こんな無礼な国からは今すぐ出ていって、より誠実で理性的な話のできるヨーロッパの他の国と交渉することにする! 言いたいことがあるなら、アメリカ政府首脳が日本に来てから言え! 全権委任状などなくても、ちゃんと交渉はしてやるから!」 それくらいは最低限、言ってほしかったです。本当に、アメリカをすぐに去らなかったとしても。

「欧米から見た岩倉使節団」(イアン・ニッシュ編 ミネルヴァ書房)によると、やはりフィッシュ国務長官の全権委任状へのケチは、アメリカ人からしても「無理難題」に思えるそうです。上にも書いたように、このケチが不条理であることは使節団もだいたい分かっていましたが、お互いの考えや性格の不一致などのくだらない仲違いで、最低限主張すべきことも主張せずに終わったようです。

現在はもちろんですが、当時だって、アメリカの無理難題に対して日本が怒ったとしても、すぐに交易が全て中止になったりするわけがありません。アメリカだって日本との国交が切れたら、中国とも交易しにくくなるし、捕鯨の収穫も減るので、困ったはずです。日本が他の西洋列強と交易して、アメリカとだけ交易しなかったら、もっと困ったでしょう。なにより、人類普遍の感情からして、上のような無礼に怒るのは当然です。たとえ怒らなかったとしても、「そのような無理難題をふっかけるのは失礼ではないか」と明確に指摘して、それを記録に残しておくべきだったでしょう。

明治時代の日本の弱腰外交といえば三国干渉が有名です。三国干渉は弱腰だと(第二次世界大戦まで)批判されすぎだと私は考えていますが、一方で、この岩倉使節団のアメリカでの弱腰外交はあまりに注目されなさすぎだと思います。21世紀になっても「堂々たる日本人」(泉三郎著、祥伝社黄金文庫)と、この岩倉使節団を激賞する本まで出版されていますが、上の弱腰外交の一件だけでも「堂々たる日本人」と、とても言えないことは知っておくべきだと思います。

 

(追記)

この記事では「なぜ岩倉使節団不平等条約を改正できなかったのか」の答えになっていないので、「岩倉外交が不平等条約を改正できなかった理由」にその答えを書いておきました。

ハリスを好きになったバカな日本人

有名な不平等条約日米修好通商条約はハリスによって結ばれました。(余談になりますが、正確にいえば、この時に不平等な領事裁判権が認められたのではなく、それ以前にハリスと下田奉行の間で領事裁判権は認められています。その前に、オランダ使節と長崎奉行の間で、領事裁判権がいつの間にか認められていたので、日米和親条約の「最恵国待遇条項」により、アメリカにも認められてしまったのです)

当時の日本人は、交渉担当者も幕閣も誰一人、この条約が不平等だと認識できなかったようです。しかし、もちろん、もう一方の当事者であるハリスは、それが日本にとって不平等であると十分に承知していました。なのに、それを日本側には伝えていません。堀田老中相手にアメリカの自由や平等や平和主義を長々と演説したのに、無知な相手を騙していたのです。

私が当時の日本人ならハリスに怒鳴りたいことはいくらでもあります。

「何度も蒸気船を江戸湾に侵入させて交渉しているくせに、アメリカが平和主義だとよく言えたものだ!」

「自分が結んだ条約の金銀のメチャクチャな交換条件でぼろ儲けしたそうじゃないか!」

「アメリカのいう自由とは、強者が弱者を騙す自由か!」

大局的に考えて、日本人にとってハリスなど憎む対象でしかありません。不平等条約によって被った日本の不利益を考えれば、こんな奴は極悪人と考えていいはずです。

しかし、歴史的事実として、当時、幕府の役人でハリスを好む者は少なくありませんでした。実際、ハリスは日本人に敬意を(ある程度)払っていました。日本人を「喜望峰以東の最も優れた民族」と日記にも書いています。ハリスが病気を理由に公使を辞任したいと述べた時、幕府はハリスの留任を望んだほどです。

しかし、これはハリスの表面だけを判断材料に下した評価でしょう。外見や性格(話し方や立ち居振る舞い)は毅然として立派だったかもしれません。日本人を見下してばかりいた他の西洋人と比べたら、日本人の長所を認める誠実さはあったのかもしれません。

でも、その実、日本人の無知につけこんで、不平等条約を結んでいるんじゃないですか。また、その裏で、金銀の交換で私腹を肥やして、日本の富を奪っているじゃないですか。こんな奴のどこが誠実なんですか?

ハリスは条約交渉担当者の岩瀬や井上を「懸かる全権を得たりしは日本の幸福なりき。彼の全権等は日本の為に偉功ある人々なりき」と評価しています。これをもって岩瀬の有能さの証明としているような本や記事はいまだにあります。でも、よく考えてみてください。岩瀬は不平等だと分からずに条約をハリスと結んだ張本人です。ハリスは騙した相手を褒めているんです。こんな上から目線の評価を正当だと判断するんですか?

この例にあるように、結局のところ日本が損をしているのに、多くの日本人がその騙した西洋人を好きになったり、尊敬したりする伝統は残念ながら現在も日本に続いています。今浮かんだ具体例として、繊維交渉や中国外交で日本を騙したキッシンジャーがいます。知らない日本人、あるいは気づいていない日本人もいると思うので、いずれ記事にしたいです。