未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

国家の富は国民の道徳と教養によって決まる

私がカナダに長期留学していて、いつも疑問に感じていることがありました。

「カナダ人はこんなに怠け者なのに、なぜ日本人より一人当たりGDPが大きいのだろう?」

また、中国に住んでいた頃に、こんな疑問を感じていました。

「上海は東京並みに商品が豊富にあるのに、なぜ日本より一人当たりのGDPが小さいのだろう?」

この答えは複雑すぎて、単純に出すことができないことは分かっています。それでも私は多くの外国人との交流から、次のような傾向があると考えるようになりました。

「国家の経済的豊かさは、その国民の道徳と教養の水準にほぼ比例する」

サウジアラビアのような資源国家もあるので、例外はあります。

上記の信念を持つようになった理由を、このブログやこちらのブログで記事に書いていくつもりです。

人間は無意識に自分の過去を肯定する

徴兵制は国民に戦争への肯定感を与えるので反対だ」

私が友人のユダヤ人に言った言葉です。その意見に、徴兵制のあるイスラエル出身の彼が反対しました。

徴兵制は国民を戦争嫌いにさせる要素もある。徴兵を楽しみにしている奴なんて、まずいなかった。終わってからも、忌まわしい記憶みたいに口を閉じる奴も多い」

私は覚悟を決めて、彼に反論しました。

「率直に言って、その考えはほとんど間違っていると思う。キミが僕と比べて戦争に肯定的なのは、徴兵経験が影響していると確信している。怖いのは、キミでさえ、徴兵が与える影響に無意識であることだ」

いつになく真剣な私の言葉に彼は腕を組み、上を向いて、しばらく考えていました。

西洋先進国の私の多くの友だちや知人同様、日本人にしては革新的と言われる私から見ても、彼は極めて革新的に思えました。彼は理想主義で、私の現実主義と衝突するのが、通常の会話パターンでした。

しかし、平和についての考え方だけは、彼は私よりも保守的でした。当初は、イスラエルユダヤとアラブの衝突が繰り返されているためと思っていましたが、どうもそれは大した影響を与えていないと分かってきました。彼の出身地では、アラブとユダヤ武力衝突など、彼が生きている間には起こっていないに等しいです。「それよりも交通事故の方がずっと多い」と彼は言っていました。「自爆テロで死ぬ人よりも、普通の犯罪で死ぬ人が多いのに、なんで自爆テロだけ大きなニュースにするのか」という愚痴もよく言っていました。

しかし、「お互いに武装解除して、暴力ではなく話し合いで解決すべきだと思う」という私の意見に、彼は非現実的と反対していました。その他にも、戦争に関する時事問題では、ほぼ常に、彼は私よりタカ派でした。大抵、彼は私より理想主義であったのと対照的だったので、その理由を私はずっと考えていて、そのうち、彼との対話、および私の人生経験から、彼が戦争を肯定しているのは徴兵経験にあると確信して、上のような発言になったのです。

彼が考えている間に、私が補足しました。

「人間は自分の過去を無意識のうちに美化してしまう。その方が楽に生きられるからだろう」

「それには同意する」

「キミから徴兵時代の愚痴を聞いた記憶がほとんどない」

彼は笑ってうなずき、こう返答しました。

「そう言えば、徴兵前に嫌がっていた奴らも、終わったら、いい経験だった、と言う奴が多かったように思うな」

人間は自分の過去を自動的に正当化してしまいます。その考えを私は20才くらいの頃から強く意識するようになりました。よほど意識しないと、流されていることに気づかないからです。もちろん、流されて好ましい場合だってあるでしょうが、そうでない場合もあります。

当たり前のことですが、その危険性に気づいていない人が多いように思うので、あえて、ここに書いておきます。

日本で革新的でも西洋では保守的である

日本史をある程度勉強した方なら、天皇機関説を唱えた美濃部達吉は知っているでしょう。どの日本の文献で調べてもらっても、美濃部は非常にリベラルな人物、場合によっては急進的と評してもいい人物として記述されていると推測します。だから、アメリカでピュリッツァー賞を受賞した「敗北を抱きしめて」(ジョン・ダワー著、岩波書店)に、美濃部が松本憲法調査委員会のメンバーとして「明治憲法の改正の必要はない」と熱意を込めて語った、と書かれていることには驚きました。

また、日本国憲法戦争放棄の条項は、幣原喜重郎が主張した、というのが日本では通説です。既に売ってしまったのですが、「歴代総理の通信簿」(八幡和郎著、PHP新書)で幣原内閣を最高評価にしている理由は、憲法の平和条項の制定にあった、と記憶しています。しかし、上記の「敗北を抱きしめて」では、「幣原は後年、自分こそがマッカーサー元帥に戦争放棄の理想を最初に語ったのだ、と自負心を持って主張するようになった。これは十中八九、たんに年老いた男の思い違いの回想であろう」と断じています。

私は原典を調べてなどいないので、本当のところは分かりません(原典を調べても、本当のところは分からないとは推測します)。ただし、日本で革新的と思われる人でも、西洋の価値観では保守的と思われることは、今でも続いていると、私の海外経験から断言します。ましてアメリカと日本の民主主義段階に極端の差があった第二次世界大戦直後なら、日本では急進的と思われる人が、アメリカで極めて保守的なマッカーサーの観点からも保守的に映った、ということは十分ありえるでしょう。

a boy of twelveの国から脱却できたのか」の記事で、人格破綻者で保守派のマッカーサーが、どうして20世紀日本で最大の民主化を実現できたのか、と問題提起しましたが、その答えの一つ要因に「西洋と比較した場合の日本の際立った保守性」は挙げられるべきだと確信します。

私が日本の最も嫌うところ

私の人間観の一番の柱は「人間は皆同じ」です。これは私が22才の頃に到達した概念で、それ以降、どんな国のどんな人に会っても、この概念が間違っていると思ったことはありません。

聖人も犯罪者も、大金持ちも浮浪者も、大学教授も知的障碍者も、人間は本来、どんなものにでもなりえる、という考え方です。たまたま、その「人」として生まれてしまえば、そんな環境を与えられてしまえば、その「人」として育つが、それはその「人」が決めたわけではない、という当たり前のことです。

20才くらいの頃、私が最も嫌だったのは、凶悪犯罪が起こったとき、弁護士が「これまでの判例でいえば〇〇容疑者は無期懲役ですけど、個人的には、こんな凶悪犯は死刑にするべきだと思っています」とテレビで言っているのを観ることでした。

私はこれが本当に信じられませんでした。「この犯罪者が自分だったら」という考えはないのでしょうか? どうしてそんな凶悪犯罪が起こったのか、考えられないのでしょうか? 周りの者が止められなかったのでしょうか? どうやって育ったのでしょうか? 社会はどうしていたのでしょうか? こんな凶悪犯罪を起こしてしまった社会の構成員の一人としての反省はないのでしょうか? 弁護士という社会正義を守るべき立場にある自分は一般人よりも責任が遥かに重いことを分かっていないのでしょうか? こんな弁護士のこんな道徳観のない発言をどうしてマスコミは普通にテレビに流しているのでしょうか? テレビを観ている何百万人もの日本人は「コイツみたいな道徳観のない弁護士がいるからこそ、凶悪犯罪が起こるんだよ!」と激怒して、この弁護士を非難したりしないのでしょうか?

私はニュースのこんな映像を観るのが嫌で、それが一番の理由で、テレビを持つのを止めました。

それから10年以上たつので、今でもそんなことをテレビで公言する弁護士が日本にいるのかどうか、そんな弁護士のそんな発言を平気でテレビに流しているのか、私は知りません。

なくなっていることを願っています。

ソマリランドでの新しい政治制度

「謎の独立国家ソマリランド」(高野秀行著、本の雑誌社)に、国連にも認められていないソマリランドで実施されている珍しい政治制度が書かれていました。「政党を三つに限る」という制度です。ソマリランドは氏族社会であるため、政党の数を限らないと分家の分家の分家くらいのレベルで人々が政党を作って混乱しますが、三つしかなければ氏族間で協力する必要が出てくるのだそうです。

この三つの政党は、議員選挙とは別に行われる、ソマリランド全土の選挙で決まります。興味深いのは、ソマリランドを六つの選挙区に分け、うち四つ以上の選挙区で20%以上の得票率を得ることが必要条件であることです。氏族は特定のエリア(選挙区)に固まっています。この必要条件により、特定の氏族だけを優先する政党は排除される仕組みです。この政党選挙は10年に一度だけ実施され、ここまで労力をかけているだけあり、立候補する者は三つの政党どれかに所属しなければなりません。日本のように「無所属」は許されません。

日本と地理も文化も歴史も大きく異なる国の制度なので、この政治制度をそのまま日本に導入するのは難しいでしょうし、実際に導入してもうまくいく保証はありません。ただ、日本の政治がうまく機能しない今、このような制度もありうると、参考にはなるはずです。

日本は1990年代に衆議院選挙制度を改革して、政治にある程度の変化はあったのですが、それによって日本の政治が劇的によくなったとは思いません(ただし、同時期に実施された政治資金の関連改革は一定の効果があったと思っています)。そうであるなら、その反省を活かして、より有効な改革を行うべきなのですが、もう政治改革をしても無駄と思う人が増えたのか、強い指導者(あるいは独裁者)を求める声が出てきていたりします。しかし、独裁政治は民主政治の対義語に近いので、そこまで極端な方法を求めるのは適切でないでしょう。もう一度選挙制度を変えてみる、あるいは、ソマリランドのような政治制度を検討してみるなど、他の民主制度を求めるべきだと私は考えています。

憲法改正が必要になるので極論になりますが、現在の議員内閣制が日本に常に最適であるとは限りません。ソマリランドで上のような政治制度を導入したのは遊牧民族で氏族社会など、いろいろな歴史や社会背景があったからです。同様に、現状の日本を政治、経済、歴史、文化、教育などあらゆる角度から検討して、日本にふさわしい理想の政治制度を考慮してみても悪くはないでしょう。

なぜ岩倉使節団は不平等条約を改正できなかったのか

日米修好通商条約不平等条約であることは、遅くとも大政奉還が行われた1867年には日本でも周知の事実でした。この頃には、国際貿易や国際法に無知により、日本がアメリカにまんまと騙されたことに気づいていたのです。

不平等条約を結んだ政権を倒して、新しい政治体制になった日本が不平等条約改正を目指すのは当然の成り行きです。1871年からの岩倉使節団はそれを目標の一つとしていました。

「あなたたちは私たちの無知につけこんで騙したんだ!」

「こちらが理不尽に不利だと分かった約束をいつまでも守るつもりはない!」

「この条約はバカな前政府が結んだものだ! 現政府はこんな条約を認めるつもりはない! 新しい対等な条約を結びたい! それが無理なら戦争も辞さない!」

アメリカの不誠実さはいくらでも指摘できたでしょうし、こちらの正当性はいくらでも主張できました。日本政府首脳がここまで多人数集まって外国で交渉するなど、日本の歴史上、その前にもその後にもありません。どう考えても、不平等条約改正の絶好の機会です。

しかし現実は、最初の訪問国のアメリカで、上辺だけは親切なフィッシュ国務長官に、日本はまたも一杯食わされてしまうのです。なんと、本格的な外交交渉に入る以前に、フィッシュが使節団の全権委任状を不適切とケチをつけてきたのです。

「全権委任状が不適切もなにも、私たちが日本政府の全権だ! まともに交渉しろ!」

使節団にはそんな意見を持つ者も多かったようですが、結局、大久保利通伊藤博文がすごすごと日本に全権委任状をとりに帰国し、その間、4か月も無駄にしました。アメリカの時間稼ぎ作戦に情けないほど簡単にひっかかったのです。そして、大久保や伊藤が全権委任状を取ってくるよりも前に、ドイツのブラント公使に「(不平等条約の交換条件として)アメリカに特別な優遇措置を認めたら、最恵国待遇条項から、他の西洋列強にも自動的にそれが認められてしまう」と忠告されると、使節団はあっさり不平等条約改正を諦めます。以後、使節団は多くの西洋列強諸国を訪れますが、不平等条約改正交渉はまともに行われていないようです。この千載一遇の機会を逃したのです。

どうしてドイツの公使に「そんなこと言っていたら、不平等条約など改正できない! アメリカだけでなく、当然、全ての西洋列強諸国とも不平等条約を改正するつもりだ! 西洋列強が条約の不条理を認めないのなら、戦争になっても構わない!」と言い返さなかったのでしょうか。

それは、西洋列強から近代文明を導入する必要があったからでしょう。「不平等条項のみ改正して、交易だけしたいなど認めない。不平等条約を改正したいのなら、こちらからの技術者や学者の日本派遣も中止する」と言われると、日本の近代化をなによりも推進したい明治政府としては困ったからでしょう。

それでも! そういった要素を全て考慮しても、岩倉使節団の外交は弱腰でした。特に、全権委任状にケチをつけて、4ヶ月間も日本政府首脳を足止めさせるなど、バカにするにもほどがあります! 「いいかげんにしろ! 俺たちがワシントンに留まるだけでも、日本国民の血税がどれだけ消費されているのか分かっているのか! こんな無礼な国からは今すぐ出ていって、より誠実で理性的な話のできるヨーロッパの他の国と交渉することにする! 言いたいことがあるなら、アメリカ政府首脳が日本に来てから言え! 全権委任状などなくても、ちゃんと交渉はしてやるから!」 それくらいは最低限、言ってほしかったです。本当に、アメリカをすぐに去らなかったとしても。

「欧米から見た岩倉使節団」(イアン・ニッシュ編 ミネルヴァ書房)によると、やはりフィッシュ国務長官の全権委任状へのケチは、アメリカ人からしても「無理難題」に思えるそうです。上にも書いたように、このケチが不条理であることは使節団もだいたい分かっていましたが、使節団員の考えや性格の不一致などのくだらない仲違いで、最低限主張すべきことも主張せずに終わったようです。

現在はもちろんですが、当時だって、アメリカの無理難題に対して日本が怒ったとしても、すぐに交易が全て中止になったりするわけがありません。アメリカだって日本との国交が切れたら、中国とも交易しにくくなるし、捕鯨の収穫も減るので、困ったはずです。日本が他の西洋列強と交易して、アメリカとだけ交易しなかったら、もっと困ったでしょう。なにより、人類普遍の感情からして、上のような無礼に怒るのは当然です。たとえ怒らなかったとしても、「そのような無理難題をふっかけるのは失礼ではないか」と明確に指摘して、それを記録に残しておくべきだったでしょう。

明治時代の日本の弱腰外交といえば三国干渉が有名です。三国干渉は弱腰だと(第二次世界大戦まで)批判されすぎだと私は考えていますが、一方で、この岩倉使節団アメリカでの弱腰外交はあまりに注目されなさすぎだと思います。21世紀になっても「堂々たる日本人」(泉三郎著、祥伝社黄金文庫)と、この岩倉使節団を激賞する本まで出版されていますが、上の弱腰外交の一件だけでも「堂々たる日本人」と、とても言えないことは知っておくべきだと思います。

 

(追記)

この記事では「なぜ岩倉使節団不平等条約を改正できなかったのか」の答えになっていないので、「岩倉外交が不平等条約を改正できなかった理由」にその答えを書いておきました。

ハリスを好きになったバカな日本人

有名な不平等条約日米修好通商条約はハリスによって結ばれました。(余談になりますが、正確にいえば、この時に不平等な領事裁判権が認められたのではなく、それ以前にハリスと下田奉行の間で領事裁判権は認められています。その前に、オランダ使節長崎奉行の間で、領事裁判権がいつの間にか認められていたので、日米和親条約の「最恵国待遇条項」により、アメリカにも認められてしまったのです)

当時の日本人は、交渉担当者も幕閣も誰一人、この条約が不平等だと認識できなかったようです。しかし、もちろん、もう一方の当事者であるハリスは、それが日本にとって不平等であると十分に承知していました。なのに、それを日本側には伝えていません。堀田老中相手にアメリカの自由や平等や平和主義を長々と演説したのに、無知な相手を騙していたのです。

私が当時の日本人ならハリスに怒鳴りたいことはいくらでもあります。

「何度も蒸気船を江戸湾に侵入させて交渉しているくせに、アメリカが平和主義だとよく言えたものだ!」

「自分が結んだ条約の金銀のメチャクチャな交換条件でぼろ儲けしたそうじゃないか!」

「アメリカのいう自由とは、強者が弱者を騙す自由か!」

大局的に考えて、日本人にとってハリスなど憎む対象でしかありません。不平等条約によって被った日本の不利益を考えれば、こんな奴は極悪人と考えていいはずです。

しかし、歴史的事実として、当時、幕府の役人でハリスを好む者は少なくありませんでした。実際、ハリスは日本人に敬意を(ある程度)払っていました。日本人を「喜望峰以東の最も優れた民族」と日記にも書いています。ハリスが病気を理由に公使を辞任したいと述べた時、幕府はハリスの留任を望んだほどです。

しかし、これはハリスの表面だけを判断材料に下した評価でしょう。外見や性格(話し方や立ち居振る舞い)は毅然として立派だったかもしれません。日本人を見下してばかりいた他の西洋人と比べたら、日本人の長所を認める誠実さはあったのかもしれません。

でも、その実、日本人の無知につけこんで、不平等条約を結んでいるじゃないですか。また、その裏で、金銀の交換で私腹を肥やして、日本の富を奪っているじゃないですか。こんな奴のどこが誠実なんですか?

ハリスは条約交渉担当者の岩瀬や井上を「懸かる全権を得たりしは日本の幸福なりき。彼の全権等は日本の為に偉功ある人々なりき」と評価しています。これをもって岩瀬の有能さの証明としているような本や記事はいまだにあります。でも、よく考えてみてください。岩瀬は不平等だと分からずに条約をハリスと結んだ張本人です。ハリスは騙した相手を褒めているのです。こんな上から目線の評価を正当だと判断しますか?

この例にあるように、結局のところ日本が損をしているのに、多くの日本人がその騙した西洋人を好きになったり、尊敬したりする伝統は残念ながら現在も日本に続いています。今浮かんだ具体例として、繊維交渉や中国外交で日本を騙したキッシンジャーがいます。知らない日本人、あるいは気づいていない日本人もいると思うので、いずれ記事にしたいです。

日米和親条約にある不平等条項

これも日本開国史(石井孝著 吉川弘文館)によって始めて知ったことですが、日米修好通商条約だけでなく、日米和親条約不平等条約でした。日米和親条約治外法権が一部認められうることもそうなのですが、今回注目したいのは片務的最恵国待遇条項が入っていることです。日本が他国に優遇措置をとると自動的にアメリカにもそれが認められる条項です。アメリカも日本に同様の最恵国待遇を認めていれば不平等条約ではないのですが、それはありません。ペリーはこの条項を「最も重要な条項」と誇っています。上記文献の著者はこの条項を「不平等条約の根幹の一つをなす」と書いています。実際、日本側の無知により、これから数年で日本は顔が青ざめるような不平等条約をどんどん結んでしまうのですが、この条項さえなければ、そこまで簡単に日本が騙されることもなかったと分かります。

ここでまたありえない、というか情けない歴史的事実を書きますが、そんな国家の命運を決める重要条項が、前記事にあった「下級役人が上司と相談することもなくペリーとあっさり決めた条項」の一つです。どれだけ強調してもいいと思うので繰り返しますが、日本はこの不平等条約の改正に50年もかかり、その間、何回も内戦を行い、大きな対外戦争も行っています。現代の全外交官の何%がこの痛恨の失敗を知っているか、誰か調べてもらえませんか?

問題先送り外交

「木を見て森を見ず」という言葉があります。些末なことにこだわって、大局的な視野を失くしている状態を指す言葉です。外交に限らず、日本人がしばしば陥る失敗です。一方で、「木を見るべきときに森を見ている」失敗も、日本人はよくするように感じます。つまるところ、問題の重要な点(本質)が分かっていないわけです。

歴史教養本を読んでいると、「下級役人による翻訳の手違いでハリスが来てしまった」などと「え! なにかの冗談でしょう?」と思ってしまう、ありえない失敗が記録されていています。

そもそも、当時の幕閣の大多数は外国人と交渉すること自体が嫌で、まして威嚇によって開国するなど嫌でした。「脅しによって成立した約束の細かい部分など、どうでもいい」とでも思ったのでしょうか。条約内で国の骨格に関わる重要問題が、本来その問題を処理すべき人物のあずかり知らないところで決まっていたりします。個人の問題ならそれでもいいかもしれませんが、国家の問題ならそれでいいわけがありません。たとえば、上記のアメリカ領事のハリス問題は、日本全権であるはずの儒家の林復斎応接掛ではなく、平山謙二郎徒目付らが林に相談もなくペリーと決めたそうです(『日本開国史(石井孝著 吉川弘文館)』参照)。

もし私がペリーとの交渉を任された小役人だったら、なにを目的にするだろうか、と空想してみました。やはり、目の前のペリーと上司の林が納得することだけを目的にするでしょう。日本の国益など考えもしません。そんな大きなことを考える立場にないのですから。

なお、上記文献を読んで始めて知ったのですが、アメリカ領事についての誤訳問題は、意図的なようです。和文訳には「アメリカ領事の日本駐在は両国政府の合意が必要である」とあり、英文訳には「アメリカ領事の日本駐在はどちらか一方の政府の必要があれば認められる」となっているのですが、他の条文にこのような翻訳の不一致は見られないからです。どうも、幕閣相手にこんな条文を読ませたくないので、意図的に誤訳して、問題を先送りにしたようです。

「日出づる処の天子、書を日没する処の天子にいたす」という極めて無礼な手紙を出して、隋の皇帝を激怒させた返信は、小野妹子がとても聖徳太子らに見せられないと判断し、帰国時に捨てて、問題を先送りした、という説を思いだしました。そういえば、秀吉の朝鮮出兵時も、現場担当者が上司を納得させるため、講和の内容を意図的に双方で別物にして、問題を先送りしていました。まさか、現在にそんな前近代的なゴマカシがないことを願います。

幕末の動乱は不可避だったのか

当時のアメリカ側の文献を読めば読むほど、ペリーは日本と本気で戦争する意思はほとんどなく、アメリカ本国政府に至っては日本と戦争する意思など皆無と言っていいことがよく分かります。ペリーはあくまで威嚇によって日本に譲歩を迫ったのであり、それにまんまとひっかかったのが日本政府だったのです。

もちろん、こんな威嚇に譲歩するのは誰にとっても屈辱です。特に幕政に関わる武士たちが外圧に屈するのは死んでも嫌だったに違いありません。

しかし、当時の世界情勢からいって、日本が西洋列強からの開国要求をいつまでも無視できるはずがありませんでした。また、それまでの外国使節のようにペリーをぞんざいに扱えば武力衝突に至る可能性は高く、武力衝突をしたら双方に死人が出て、まずアメリカと戦争になったでしょう。その場合、日本は確実に負け、完全な植民地になった可能性もあります。当時の幕閣で最も強硬論だった徳川斉昭でさえ、アメリカと戦争して勝てるとの妄想は持っていませんでした。アヘン戦争で負けた、あるいはアロー戦争に負けた中国のような悲劇こそ最悪だと考えたのでしょう。

かといって、当時の幕政の中心人物たちは、ほぼ全員、開国もしたくありませんでした。戦争もしたくない、開国もしたくない、ということで、幕府は時間稼ぎ作戦に出ました。ペリーが根負けして帰ってくれるんじゃないか、と期待したわけです。武士道を尊ぶ人たちがこんな外交手段をとったことは注目に値します。

現代から考えてみれば、当時の幕閣たちの現状認識がなによりも間違っていたことが分かります。「外圧に屈するか」あるいは「戦争するか」と、両極端な二元論です。もっと別の見方をするべきで、ペリーもハリスも他の西洋列強の使節も、「開国が日本人の利益になる」見解をいくつもの角度から伝えています。しかし、当時の日本人の見解とはあまりに隔たっていたため、日本政府の中心人物たちはそれをなかなか理解できませんでした。そして、日本政府の中心人物が変わって、日本人が開明思想を受け入れるまで、日本の動乱期は続きます。

だから、大局的な視野でいえば、幕末維新の動乱期とは、日本人が開明思想を習得するための期間だったと私は考えています。もし始めから多くの日本人が、西洋人に匹敵するほどの開明思想を持っていたなら、上のような二元論に固執することもなく、日本は開国を早々と受け入れて、近代化に向かっていたことでしょう。

もちろん、鎖国を200年以上も続けた日本人が開明思想をすぐに理解するのは不可能です。しかし、結局、日本人はそれを理解しなければなりませんでしたし、事実、理解しました。もしいつまでも理解しなかったら、日本は殖産興業も富国強兵もできず、それこそ中国のような悲劇を迎えていたかもしれません。

なお、「国家の思想が大きく変わるためには、幕末維新にあれくらいの動乱が必要だった」という歴史観(そんなものがあったとして)に、私は必ずしも同意しません。たかが人の考えを変える程度です。なにも京都で暗殺が横行したり、戊辰戦争で多くの日本人が死んだりする必要はなかったでしょう。

たとえば、西洋列強から入ってきた開明思想を日本中の庶民に知らせたら、どうなっていたでしょうか? 「西洋では進んだ科学技術を使って便利な生活をしている」「選挙によって最高権力者まで決める」「貿易によって商業が発達すれば暮らしが豊かになる」 政治家や役人たちがそんな風に日本人の視野を広げ、教養を高めることに成功していれば、幕末に日本人同士で殺しあう悲劇はそこまで起こらなかったはずです。

こう書くと、次のような反論が容易に浮かぶでしょう。

「幕府がそんな自滅を招くような政策を実行できるわけがない」

福沢諭吉が同じような発想で『学問のすすめ』を出版して日本人の教養を高めようとしたが、やはり西南戦争が起こったじゃないか」

第二次世界大戦後ならともかく、封建社会で大改革を実行するなら、あれくらいの犠牲は不可避だった」

「確かに日本人の教養を高められたら好ましかっただろう。しかし、それは『全ての人がキリスト教徒なら世界が平和になるのに』という、ありえない夢想をするのと同じだ。ありえない仮定で歴史を振り返るのはナンセンス極まりない」

それらの反論が不条理だとは思いません。しかし、それでも、「学問のすすめ」のような本がもっと早く広く普及していれば、当時の役人が日本人全体の教養を高めることにもっと早く専念していれば、幕末の犠牲はより少なくてすみ、日本の近代化はより早く進展したと確信します。少なくとも日本人の教養を高める活動は(当たり前ですが)物理的には可能なので、より多くの日本人がそれに気づき、一人ひとりが視野を広げて、「どうして西洋人はあんなすごい船を持っているんだ?」「西洋人ができるのなら、日本人だってできるんじゃないか」「昔からの習慣を守ることで自分たちは本当に幸せになれるのか?」という視点を持てていたなら、より誇らしい歴史を持てたと私は考えます。

 

※この記事には誤解を生む論理展開になっているので、「黒船と本気で戦っていたら日本は攘夷を達成できたが、それは最悪の選択であった」に追加の記事を書きました。

幕末の稚拙な外交政策から日本は教訓を得ているのか

私が中学生だった頃、日本史を勉強していて、最も謎だったのは日米修好通商条約です。これは日本が自由貿易を始める画期的な条約であると同時に、アメリカ人の治外法権を許し、日本に関税自主権がなく、アメリカへの片務的最恵国待遇を認めた不平等条約です。明治時代を通じての外交は、あるいは、もっと大きく明治時代そのものは、この不平等条約解消のために費やしたと言っても過言ではない、と私は考えています。一体、どうして日本人を劣等民族扱いした、こんな屈辱的な条約を結んだのでしょうか?

社会の先生に質問すると、「西洋列強と戦争するだけの力が当時の日本にはなかったから」と返答されました。私はその返答に納得できず、さらに質問したかったのですが、上手く言葉にできなかった記憶があります。

「通商条約だけでよかったのに、なぜ不平等条約まで結んだんですか?」

不平等条約だと当時の日本人は分かっていたんですか?」

「もしアメリカが日本の無知につけこんだ条約だったのなら、それは不誠実です。その不誠実を主張して、対等な通商条約にすることはできなかったんですか?」

「日本が正当な理由を主張しても、まだアメリカが武力で威嚇するのなら、中国や他の西洋列強に日本への同意を求めて、戦争も辞さずに交渉する方法はなかったんですか?」

「その他、あらゆる合理的な外交手段を当時の日本の外交担当者は考えたんですか?」

今の私なら、こんな疑問を続けたかったのだろう、と分かります。私が明治時代に生きていたら、特にこの不平等条約の改正の仕事を請け負っていたなら、「なぜ! どうして! こんなバカな条約を結んだんだ!」と何度も考えたことでしょう。だから当然、そんな考証は現在まで何千回、何万回もされて、その骨身に染みた反省から生まれた教訓は現在までの日本外交に受け継がれている……と私は信じていました。

しかし、十分な教育を受けたはずの大卒日本人の何%が上の疑問にスラスラ答えられるでしょうか? あるいは、次の質問には適切に答えられますか?

1、どうして西洋列強は日本を植民地にしなかったのか?

2、なぜペリーは日本との通商よりも捕鯨船の補給を望んでいたのか?

3、当時世界最強の海軍国であるイギリスではなく、なぜアメリカが日本の鎖国政策を終えらせたのか?

私は大卒で歴史教養本を100冊以上は読んでいますが、つい最近に「日本開国史(石井孝著 吉川弘文館)」を読むまでは、上記の質問全てに答えられないか、要点を見落としていました。

上記1、2の答えは当然一つに定まりませんが、要点に「西洋列強が中国を日本よりも遥かに重視していたから」があることは間違いありません。つまり、日本を開国させて通商を結ぶのは中国よりも簡単かもしれないが、その労力を中国との交易拡大に向けた方が有益だと、貿易統計から判断していたのです。なぜこの要点が間違いないと断言できるかといえば、当時のイギリスの外務大臣アメリカの国務長官を筆頭とした外交官のほぼ全員が「日本との国交を性急に結ばない理由」として、「それよりも中国との交易拡大に専念すべきだ」と返答した記録が残っているからです(上記文献参照)。

また2、3の答えとしては、イギリスが中国に行く途中に日本に立ち寄る必要は全くないが、アメリカが中国に行く途中に日本に立ち寄れると極めて便利だったからです。これもペリーが「日本を開国させるべき理由」として進言しており、また海軍長官もその理由に納得して日本に行く許可を出しているので、要因の一つであることには間違いありません。つまり、ペリーの最優先の目的は、中国に行くまでの避泊港を設けることでした。だから、日本が開国しなかった場合でも、琉球諸島に停泊地を作るつもりで、実際、ペリーは日本を開国させる前に、琉球王国に停泊地を作ることを認めさせています。ここで注目したいのは、「日本が開国しなかった場合」について、ペリーはアメリカを発つ前から海軍長官に書簡で述べている点です。

現在、ペリーたちの思惑は上記文献などから日本でも明らかになっています。これを日本の政治家たちが知ったのはいつだったのでしょうか? また、こんな重要な情報(アメリカによる日本開国の主要目的は中国貿易であったこと)がなぜ一般に広まっていないのでしょうか? もしかして日本は幕末の稚拙な外交政策についての総括ができないまま第二次世界大戦に突入したのでしょうか? そして第二次世界大戦の稚拙な外交政策の総括ができないまま現在に至っているのでしょうか? 結局、日本は幕末以来、外交政策についてはなにひとつ確固たる教訓を得られないままなのでしょうか?

そんな疑問がどうしても生じたので、これから複数の記事にしています。

マイナス票と投票価値試験

昨今、先進国ではびこるポピュリスト対策として、マイナス票の導入ほど有効なものはないように思います。古代ギリシア陶片追放のように、マイナス票と言えば、危険な独裁者を排除するために導入されていますから。とはいえ、イギリスのEU離脱の可否のように二者択一なら、マイナス票導入効果はほとんどありません。日本のように多くの候補者がいる選挙なら効果は期待できます。

新聞紙上でも、マイナス票の提案は何度か読んだ記憶があります。しかし、すぐに「あまりうまくいかないようです」と却下されています。うまくいかない実例を私は読んだ記憶がありません。もし、失敗実例を知っている方がいれば、ぜひコメント欄に書いてください。

なお、私がここで提案したいのは、マイナス票についても投票価値試験を行うことです。通常のプラス票の投票価値試験の他に行うので、有権者にとっては二度手間にはなります。だからデメリットも確実もあります。しかし、メリットもあります。投票価値試験を二つにすることで、一度だけよりも公平になることです。また、投票価値試験を作る仕事を2倍に増やせます。

話が飛躍しますが、私は以前のブログで、これからの人工知能社会について考察し、今後、コンピューターによって人間がしなくていい仕事が増えていくと信じています。その分、新しい仕事、あるいは社会に役立つ活動を作るべきだと考えています。投票価値試験制作といった公平さが極限まで求められる難しい仕事をAIが代替できるまでにあと100年は必要でしょう。この知的仕事量を2倍にする価値はあるはずだと考えます。

投票点数自由割当方式

前回までの記事で提案した投票価値試験が、最も有益だと考える選挙改革案です。この記事で提案する投票点数自由割当方式と、次の記事で提案するマイナス票は、本当に有益かどうか、私自身、疑問を持っているところもあります。

現在の投票方式では、一人の候補者に自分の投票価値を全て与えて、他の全候補者には自分の投票価値を一切与えていません。実際の有権者の意見は、必ずしもその投票価値と一致しているわけではありません。「A候補者を一番いいとは思うが、B候補者も各段悪いわけではない。しかし、C候補者は論外だ」という意見を持っている有権者がほとんどのはずです。

その有権者の意見にできるだけ近づけるために、投票点数自由割当方式を提案します。前回までの記事で提案した投票価値試験の点数を各候補者に整数で割当てる選択方式です。かりに投票価値試験点数が80点であれば、A候補者に50点、B候補者に29点、C候補者に1点、それ以外の候補者たちは0点といった具合に割当てられます。

「多数決を疑う」(岩波新書、坂井豊貴著)では、この自由割当方式を「少数の熱狂的なグループを優遇する仕組みに陥りかねない」と批判しています。確かに、その可能性も十分あるのですが、そうならない可能性もあるはずです。もし自由割当方式がうまくいかなかった実例を知っている方がいれば、ぜひコメント欄に書いてください。

投票価値試験の利点

投票価値試験が実現すれば、候補者は名前連呼などの無意味な選挙活動はしなくなるでしょう。候補者は教養のある有権者に投票してもらうため、真に有意義な政策を訴えるようになるはずです。

また、投票価値試験は有権者の政治への知識と関心を高める効果があるでしょう。これまでは適当に選んだ一票も、熟慮の末に選んだ一票も同じ価値であるという不条理があったため、とにかく多くの人を巻き込むことが選挙活動になっていました。しかし、公平な見解を持っているか、選挙の争点を知っているか、各候補者の意見を理解しているか、などを投票価値試験で問うていけば、単に多数の人を巻き込むだけでなく、支持者に多くの知識や広い見解をつけてもらうことも選挙活動に入ってくるからです。

同時に、投票価値は自己の価値とも考えられます。自己の価値を高めるため、多くの有権者が政治について真摯に学んでいく効果が、少なくとも現状の選挙方式より格段にあるはずです。

投票価値試験の公平性

投票価値試験の実例

問1、次のうち、ヨーロッパにある都市はどれか?

ア、ニューヨーク  イ、ロンドン  ウ、ロサンゼルス  エ、シカゴ  オ、デトロイド

問2、次のうち、PM2.5とはなにか?

ア、自動車  イ、携帯電話  ウ、コンピューター  エ、条約  オ、粒子状物質

問3、次のうち、現在の中国の国家主席は誰か?

ア、毛沢東  イ、習近平  ウ、李承晩  エ、朴槿恵  オ、鄧小平

問4、次のうち、最も大きい数はどれか?

ア、三分の一  イ、20%  ウ、0.09  エ、1÷8  オ、1割

問5、次のうち、平成28年度の日本の国家予算に最も近い値はどれか?

ア、約1兆円  イ、約10兆円  ウ、約100兆円  エ、約1000兆円  オ、約10000兆円

 

こんな問題すら正解できない人に、投票権を与える価値がないのは、多くの方に納得してもらえるのではないでしょうか? 問1でロンドンがヨーロッパで、他の選択肢は全てアメリカにあることも知らない人に外交に関する決定権を与えるべきですか? PM2.5を車の名前と勘違いしている人に環境問題を考える基礎ができていると思いますか? 中国の国家主席を既にこの世にいない人や韓国人と混同する人に政治が語れますか? 問4のような初歩的な算数を理解しない人が経済問題を扱えますか? 日本の国家予算を桁違いで間違う人に税金の使い道をあれこれ言う資格がありますか?

しかし、こんな簡単な問題ですら、日本人有権者の半数以上が全問正解できないことは、よほど世間知らずの人でない限り知っているでしょう。それどころか、何百万人もの有権者は上のような問題はもちろん、どんな試験であっても0点をとる可能性があります。認知症の高齢者が何百万人も日本にいるからです(http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12601000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Shakaihoshoutantou/0000065682.pdf)。ここで高齢者の実態を知らない人なら、「認知症患者は投票自体できないから、議論の対象にしなくていいだろう」と思うかもしれません。しかし、字もろくに書けない高齢者にすり寄って、自分の支持政党に投票させたりする人は現実にいます。医療、介護、福祉での経験がある人なら、選挙期間になると、今まで一度も見舞いに来ていない遠い親戚が急に現れて、投票場まで認知症の高齢者を連れていく様子を見たことがあるはずです。投票価値試験が実施されれば、そんな理不尽な選挙活動は撲滅できるでしょう。

なお、投票価値試験は上にあげたような簡単な問題だけにする必要はありません。当該選挙の争点になっている問題、各候補者の公約についての問題はあった方がいいでしょう。試行錯誤しながら、より適切な投票価値試験を作り上げていくべきです。すぐに完璧にならないでしょうが、止めずに続けていけば、日本人のほぼ全員が公平と考える投票価値試験は必ず作れると私は確信しています。

なぜなら、日本人のほぼ全員が経験する入学試験(入試)は、批判を受けながらも、概ね公平な選抜方法と受け入れられているからです。多くの人にとって、自分の投票で結果があまり変わらない選挙より、高校や大学の入試の方が人生を大きく左右するはずです。しかし、学力試験は高校や大学の選抜方式として明治以来100年以上日本に定着しており、それが不公平だという声はほとんど聞かれません。面接などの推薦試験もここ30年ほどで導入されていますが、主観によって評価が分かれる面接よりも、客観的に評価を下せる学力試験の方が日本ではまだまだ有力です。歴史上、投票価値試験のようなシステムが失敗した例もあるかもしれませんが、現代の日本でなら成功できると考えます。